道徳教育について

『城丸章夫著作集 第1巻 現代日本教育論』 第四章 集団教育論 第三節 道徳教育論 より引用。

 昭和三〇年代にはいってから、「道徳教育」をやらなければいけないという声が、政治家・官僚・地方有力者の一部から強く出てきている。そしてその有力な理由は、「戦後の子どもは悪くなった。これは道徳教育をやらないからだ」という主張である。私は、しかし、こんな身勝手な主張はないと思う。
 自分のことを書くのは恐縮であるが、私は戦後の混乱期に六年半ばかりの間、中学校長をしてきた。その私の校長就任の最初の日の仕事は、警察につかまっていた不良少年をもらい下げてくることであった。私はあの当時の混乱と困難とを、いまもなおまざまざと思い出すことができる。そのとき文部省は何をしていたか。直輸入型新教育の旗ふりをしていたにすぎない。それは、私たち現場の苦しみとは何の関係もないことであった。子どもも教師もみんな貧しく、一枚の画用紙を買わせることにさえ気を使わざるをえなかった。貧しさのあまりに、親が子どもに盗みをさせる家庭がいくらもあった。こうした現実を前にしては、私たちは新教育の選手校になる気持を、とうていもつことができなかった。むしろ、こうした子どもたちと取り組むことによって、やがては新教育に対する積極的な批判や反対をせざるをえないという結論をもつようになった。私たちは新教育をサボったり、やりかえたり、反対したりした。しかし、直輸入教育を、多少とも日本人にふさわしくすることは容易でなかった。是正のひとつひとつについて「覚悟」が必要であった。いまでは笑い話になるが、たとえば次のようなことがあった。関東軍政部の担当官フォックス氏は、自分の好みから関東の各学校に週五日制の実施を指令した。これは休日が一日ふえるようで、実は子どもと教師に五日間の過酷な労働を課することでしかなかった。私は自分の県内で、いちばんはやく六日制に戻したが、そのときはいちおう「覚悟」したわけである。こんな小さなことまで「覚悟」が至るところで必要であった。しかし、いま「愛国心」や「道徳教育」を唱えている人たちはふり返えってもくれず、大多数の名もない親たちだけが私たちの支持者であった。
 これは私たちだけの経験であろうか。そうではない。日本の大多数の教師が、みんなこうして戦後を生き抜いてきたのである。名もないこの教師大衆が、学力低下を指摘したのである。基地の悲惨な状況や長欠児童・生徒の実態を明らかにしたのである。植民地的頽廃文化とたたかってきたのである。社会科の実践をくふうし、ホーム・ルームの経営法を発展させ、生活指導の理論と実践とを深めてきたのである。あの混乱の時代に、いや、いまなお子どもを頽廃させるものが満ち満ちている時代に、曲がりなりにも子どもを一人前に育てあげる努力は、「道徳教育」を忘れることができるほどになまやさしいものではなかった。夜のさかり場を家出した子どもを探して尋ねまわり、その子をふたたびあたたかい学級のふんい気に包みこむための担任の努力は、容易なものではなかった。まじめな労働と、そうでない労働との区別を教えることの困難さなどは、想像以上であった。
 このときに、いま、「愛国心」や「道徳教育」をとなえている人たちは何をしてきたか。陰に陽に私たちを圧迫し、どうしても圧迫しきれなくなると、「俺もはじめからそう思っていた」という顔つきをしてきたのである。こういう人たちが、よくもまあ、日本の教師大衆を被告席に据えて、「道徳教育」が不十分だとか、やって来なかったとかと言えるのであるか。その人たちこそ、道徳教育を忘れていたのである。この人たちは、五〇万の現場教師大衆に手をついてその不明をわびるべきである。「道徳教育をやらなかったから不良がふえた」などという失礼な言い草は、そっくりそのまま返上し、原告と被告はその位置を入れかわるべきである。
 いったい、これらの論者は戦後の教師の辛苦した実践をどう見ているのであろうか。直輸入型教育を、ひとつひとつその手で試し、改善し、積み上げてきた努力はゼロに等しいのであろうか。いったいこれらの論者は、日本の教育の歴史から何を学んできているのであろうか。たとえば、戦前の生活修身は当時の文部省修身に対するどのような批判から生まれ、「生活指導」という概念は作文教育のなかから、文部省修身に対するどのような対決から生まれてきたものであろうか。生活指導は、たんなる「方法概念」にすぎないものであろうか。さらに、生活指導の戦後の発展は、日本の現実とのどんな対決のなかで生まれてきたものであろうか。「社会科では道徳教育は弱い」という。しかし、社会科を弱め、終始骨抜きに努力してきたのは誰であったのか。「全教科でやるのはやらないのと同じ」だという。しかし、教科を生活指導から機械的に切り離そうと努力してきたのは誰であったのか。これらの批判がましいことばは、実は放言というべきものである。これは政治的放言にすぎない。私は本来、道徳教育の時間を特設されようがされまいが、そのこと自体は、社会的対立を招くほどのことではないと思っている。それは、どちらが能率的であり、どちらが合目的的であるかを検討すればよいことだからである。賛成論者も反対論者も、十分に話し合う余地が残されている。これに対して政治的術策を弄して強行するというのであれば、かりに私が賛成論者であるとしても、断乎として反対せざるをえない。昭和三十三年の「道徳教育実施要綱」ならびに学習指導要領は、この意味では政治的色彩の濃厚なものとして、私は反対する。指導要領がきめたのは、時間を特設することだけであるといって過言でない。時間のわくだけを作って、この時間を「道徳」によって埋めろと指令することは、要するに教育の結果に関心があるというよりは、政治的結果に関心があるのだといわざるをえないではないか。