なぜそれが必要なのかをまず考えて、議論すること

国学力テスト:小6も番号方式〓〓名前の代わりに

 今月24日、小6と中3の全児童・生徒を対象に行われる全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、文部科学省は10日、小6向けの解答用紙に名前の代わりに番号を記入する「番号方式」を例外的に認めることを明らかにした。同方式は個人情報保護などのため、一部自治体などから要望があった。

 「番号という「匿名」のテストに慣れていない小学生の戸惑いに配慮した」と文部科学省は言うが、質問紙調査の目的から考えて、子どもに記名させ、個人を特定する必要があるのかを問わなければいけない。
 TIMSSやPISAなどの国際的な調査で質問紙調査が実施されている。各自治体ごとに行われているような学力テストでも質問紙調査法が取り入れられている。では、それがなぜ必要なのか。
 その理由は、背景にある要因について調べることで、学力にどのような要因が大きな影響を与えているのか知ることができる。それは政策立案者にとっては政策を考える上で、重要なデータとなるからだ。
 しかし、政策立案者にとって個人を特定するようなデータまでは必要が無い。何度も言うように、全国学力テストは政策評価の一環であり、一般的にイメージされているような学力テストとは異なるものだ。これは自治体ごとの学力テストも同様の性格を持つものだ。
 政策評価に必要なデータの収集は、大きな問題とならない。不安な声が上がるなら、丁寧な説明を行えばいい。しかし、今回の問題はなぜか個人を特定するための情報が必ず得られるような制度設計が行われているということだ。
 学力テストを実施し、その結果を子どもたちにフィードバックするために子どもを特定できなければいけないと主張されるだろう。では、同様のことを学校ごとに行う学力テストではできないのだろうか。子どもの学力を把握し、その結果をフィードバックすることで学力向上を目指すことが目的ならば、学校ごとの学力テストで十分だ。全国学力テストでなければできないことではない。なのになぜ個人を特定できるようになっているのか。
 つぎに、質問紙調査で個人を特定する必要性があるか。その必要性は全く無い。
 以上の理由から記名式である必要性は無い。ここで「番号という「匿名」のテストに慣れていない小学生の戸惑いに配慮した」というもっともらしい言い訳について次のような提案をしたい。子どもが記号式に戸惑うというのであれば記名させてもいい。しかし、その部分は学校で切り取って業者に渡すようなものにするということだ。
 記名されてたり、個人が特定できなければ学力テストの意味がなくなるのか。そういうことは無い。なぜなら、全国学力テストは政策評価のための調査であり、そもそも個人を特定する必要性の無いものだからだ。子どもの学力の状況を把握し、それを子どもにフィードバックし、対策を講じていくことが目的ならば、他にいくらでも方法はある。
 もう一度繰り返して言う。全国学力テストは政策評価の一環であり一般的な学力テストとは異なる。政策評価には個人を特定する必要性は無い。
 記名するくらいいいじゃないかとか、この程度ならいいじゃないかという意見があるが、全国学力調査にそれが本当に必要なものかどうかをきちんと考えるべきだ。必要の無い情報が集められるような制度設計が行われているような場合には、改善を要求したり、拒否することは当たり前のことだ。
 全国学力テストについては、実施目的やどのような方法で行うのか。その後の対策がどのようにして講じられるのか。そういうところをほとんど知らされないし、議論されない。そして、国が行うというだけで賛成したり、一般的な学力テストや国際的な調査と同じようなものと捉えられている。また、質問紙調査について、そういう調査をやれば何かの役に立つという程度の認識で、質問の項目などの妥当性を問われない。
 学力調査は、やれば何かが良くなる。学力テストをやらなければ始まらないという認識を捨てるべきだ。そして、学力テストに反対することは、子どもを置き去りにすることだという短絡的な認識を捨てるべきだ。なぜそれが必要なのかをまず考えて、議論すること。それが欠けていた。これからでも遅くは無い。きちんと議論していくべきだ。