総合的な学習の時間に対するこのような批判の愚かさ

 先日の楽しい授業論に関するエントリーを書かないといけないのだけど、どうしても書いておきたいことがあるのでまた後日。
 まず、Googleで「総合学習 日教組」というキーワードで検索してみてください。その検索結果の中に「総合的な学習の時間(総合学習)は日教組の提唱したもので、それを文部科学省が取り入れてできたものだ」というようなことが書いてあり、総合的な学習の時間を批判しているものがある。今回書きたいのは、そういう批判が愚かなことであるということ。
 国立教育政策研究所が、「諸外国の「総合的学習」に関する研究」というのを出している。それを読んでもらうと分かるが、諸外国でも日本の総合的な学習の時間と同じようなものがカリキュラムに取り込まれている。特に台湾などは、日本の総合的な学習の時間と非常によく似たものをカリキュラムに取り入れている。
 また、現在行われている総合的な学習の時間と同じようなものは、日本でも古くから(例えば、木下竹次の合科学習など挙げればいくつもある。)行われてきた。
 現在カリキュラムに取り入れられている総合的な学習の時間は、日教組の提唱したものがオリジナルではないし、日教組の提唱したものと同一のものではない。
 もし、総合的な学習の時間が日教組の提唱したものであるために批判されるなら、日教組が提唱する以前から存在するものや諸外国のものも同様の理由で批判されなければならないだろう。
 総合的な学習の時間が、日教組の提唱したものだからという理由で批判され、カリキュラムから削除されるとしたら、これほど愚かなことは無い。
 いわゆる「ゆとり教育」も同じようなレトリックで批判されることがある。総合的な学習の時間やゆとり教育に対するこのような批判は、正当なものではなく、単なる言いがかりに過ぎない。