説明責任の意味と学力テストの意味の混乱

枚方学テ裁判

小中生対象学力テスト、枚方市が学校別成績公開へ

 大阪府枚方市は20日、全市立小中学生を対象に毎年行う学力診断テストの学校別成績を公開することを決めた。従来、「学校がランク付けされる」として公開していなかったが、非公開決定の取り消しを求める訴訟を起こされ1、2審で敗訴。「勝訴の見込みがない」と上告を断念していた。国や自治体の多くは、同市と同じ理由で学校別成績を明らかにしていないが、この確定判決をきっかけに、公開する自治体が増える可能性もあり、成績公開を巡って論議を呼びそうだ。

 KOYASUさんのブログで知った。この裁判は前から行方が気になっていた。KOYASUさんが、

 判決の言うテストの目的と、公開の論理は整合しない。テストは本人と保護者に示されるものであって、それ以外の一般市民に示すためではない。

と指摘されていることに同意する。ここで考えなければならないのは、「説明責任」とは何かということと、「学力テストの目的」が何かということ。
 ここで「説明責任」というと、テスト結果は当然公開すべきという議論になるのかもしれない。しかし、それは説明責任を果たす相手を間違っている。
 それは学力テストの目的を考えなければならない。学力テストは、子どもの学力の状況を把握するために行われる。だから、その結果を必要とするのは子ども自身と保護者、そして教員だ。その間で情報が共有され、対策が講じられれば学力テストの目的は達成される。
 では、地域住民にとって学力テストの意味は何か。それは、学校の教育を評価するための指標となる。そう考えられている。そこに必要な情報は各学校ごとの詳細なデータではないはずだ。
 これまで、学力テストの必要性は論じられても、それについて理解を深めていこうということはほとんどされてこなかった。また、学力テストがそれぞれの人たちにとってそういう意味があるのか。そして、情報をどこまで公表すべきか。そういう議論もしてこられなかった。
 何度も言うのでしつこいと思われるかもしれないが、根本的な問題について議論もしない、理解を深めることもしないまま、学力低下という不安感に駆られて、学力テストの導入だけが拙速に行われている。
 枚方市の学力テストの問題は、議論をし、理解を深めるきっかけにすべきだ。そうしなければこのような問題が次々と起こることになる。