教育と政治の問題

 松下良平「政治意識の回復と教育観の転換」『教育學研究』第67巻第1号2000年のなかで松下氏は、次のように述べている。

 戦後日本(特に1950年代半ば以降)においては、「学校教育の政治からの自律」の旗印の下に、学校教育から政治的活動を排除しようとする動きが顕著であったが、実際には学校は政治に翻弄され続けてきた。そこで実際に起こったことは、国家や経済界の立場や活動を擁護あるいは正当化する意識を「国民」に与えると同時に、それらの立場や活動に異議を申し立てたり抵抗するような意識をできるだけ排除することであった。そこでは政治活動は、「学校教育の政治からの自律」の原則を犯さぬよう、あからさまな政治的教化によってではなく、利益(私的利益・地域的利益)の誘導を通じて行われる。すなわち、一見中立的だが実際には現行の政治システムや経済システムの維持と正当化に貢献する知識や態度が、「学習する側の利益になる」という名目で教え込まれる。そのため圧倒的多数の「国民」(子ども・親・教師)は、「自分のためになる」「子どものためになる」という理由で、その政治活動としての学校教育を、政治活動であることを意識しないままに受け入れてきた。しかも、学校教育が自己目的化するにつれて、「国民」はその政治活動=教育を自ら積極的に求めるようにさえなる。その結果「国民」は、国家や経済界の立場や活動に抵抗しないことを余儀なくされるというよりも、自ら進んでそれに抵抗しなくなった。
 このようにして生じたのは、教育を受けた者の政治意識の剥奪である。ここでいう政治意識の剥奪とは、政治が政治であることを隠して強制され、その強制を自発的に受け入れるという現実の中で、子どもや親だけでなく教師も、政治に対して無関心になり、無知になったことである。すなわち、自らが政治に翻弄されているにもかかわらず、そのことに問題関心や問題意識をもたず、その蹂躙状態に甘んじるようになったことである。

 今行われている、教育改革の改正や教育再生会議による教育改革は、松下氏の言う「「学校教育の政治からの自律」の原則を犯さぬよう、あからさまな政治的教化によってではなく、利益(私的利益・地域的利益)の誘導を通じて行われる。すなわち、一見中立的だが実際には現行の政治システムや経済システムの維持と正当化に貢献する知識や態度が、「学習する側の利益になる」という名目で教え込まれる。」ことに他ならない。
 そして、それは「教育を受けた者の政治意識の剥奪」であり、「政治に対して無関心になり、無知に」なることであり、「自らが政治に翻弄されているにもかかわらず、そのことに問題関心や問題意識をもたず、その蹂躙状態に甘んじる」ようになることである。
 そのことを常に心に留めて、今行われていることを注意深く見て、批判すべきことは批判していくべきだ。