歴史は繰り返す そしてこれから

インドの衝撃
第1回 わき上がる頭脳パワー

 この番組を見ながら、日本の高度経済成長期、アメリカが同じように日本を見ていたんだろうということを考えていた。その当時のアメリカでは、日本の経済成長の源は教育にあるとして、日本の教育は「成功モデル」として紹介され、もてはやされた。そして、アメリカは教育改革を行った。
 おそらく、この番組を見て、インドの台頭に目を見張るとともに、インドの教育を日本はモデルにすべきと考えた人が多いと思う。
 しかし、それは短絡的な考え方だと思う。先日、インドに見る日本の近い将来の姿というのを書いた。インドの教育には問題がある。そこで日本を振り返ったとき、インドの教育が抱える問題から学ぶことは多い。そういうところを学ぶことはすべきだ。しかし、インドと同じことをせよというのは間違っている。
 冒頭で、日本の高度経済成長期というのを持ち出したが、インドはまさに高度経済成長期のころの日本に似ている。そして、インドの教育はそのころの日本の教育と同じ道を歩んでいる。
 今、日本は高等教育への進学率がほぼ100パーセントに近いところまできた。日本の教育は量の拡大がほぼ達成された。インドでは、量の拡大が今進行している。そして、そのころの日本人が学ぶことに貪欲で熱心であったと言われるように、今のインドもそういう状況にある。
 では、日本はインドに遅れをとるのかと言われると、教育に関しては遅れをとることはないと考えている。おそらく、経済界はそういうことは考えていないだろう。危機だと叫び、教育改革を迫ってくるはずだ。
 だが、勘違いをしてもらいたくない。今の日本の閉塞状況は教育の量の拡大が進行する中で、状況をきちんと把握し、これからの変化にどう対応するのかということを考えてこなかったことで生み出されている。
 とにかく経済成長期の成功体験に足を縛られ、そこに回帰することしか考えない。それによって、今の状況を見失い未来をどうするのかきちんと描ききれていない。そういう教育改革が経済界をはじめ、各方面から強く主張されてきた。
 以前、アメリカやイギリスで日本の教育がもてはやされたとき、「教育の卓越性」というのが盛んに主張された。それは、自分たちの過去の「威信」を取り戻そうとするものだ。日本もまた同じことをするというのか。それは未来を拓くのではなく過去の威信にすがりついているだけだ。
 インドや中国の教育は今ようやく量の拡大に力を入れ始めた。イギリスやアメリカはもはや理想のモデルではない。日本はこれからどうするのか。そこを考えなければいけない。