インドに見る日本の近い将来の姿

優れた素質を生かせない教育大国インドの反省【コラム】

 先日、この記事を読みながらこれは日本の近い将来の姿そのものではないかと思った。なぜなら、

 昨年12月、インドのEducationalInstituteとIT大手のウィプロ・テクノロジーズが共同で実施した学力調査結果が発表された。インドの5大都市(デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、バンガロール)の有名私立校に在学する4年生、6年生、8年生(日本の小4、小6、中2に相当)の3万2000人を対象に、英語、数学、科学の3科目における学力調査を行った。その結果が衝撃的である。

抜粋すると

・インドの生徒は世界43カ国の同学年の平均を大きく下回った
・丸暗記で答えられる問題は正答率が高いが、理解力や判断力を求める問題では極端に低い
・学習項目を実生活に適用する能力が著しく低い
・語学科目は意思疎通の手段としてではなく試験用の科目としてしか学習されていない

等々である。

要因としては以下のように書かれている。

・非現実的な量のシラバスをカバーしている
・10年生の時の統一試験のスコアにばかり重点を置き、子供の基礎力が養われていない
・教師の教え方にも問題がある。板書と一方的なしゃべりばかりのクラスになりがちである

というのが日本の教育改革の問題点と一致するからだ。
 まず、インドでは「非現実的な量のシラバスをカバーしている」という問題が指摘されている。日本では、いわゆる「ゆとり教育」で削減された教科内容と時間とを増やす方向に向かっている。そこで進められているのは、時間増とともに量も増やすというものだ。時間が増えるから量も増やす。ごく当たり前のことと考えられているかもしれない。しかし、それは違う。なぜなら、時間増で量を増やせば、じっくり教えるための余裕は全く生まれないからだ。これまでのことを考えれば、時間増は内容の増加につながる。そして、現場では常に時間不足が続く。インドの「非現実的な量のシラバスをカバーしている」という問題は、日本で今後必ず出てくる問題だ。
 また、「10年生の時の統一試験のスコアにばかり重点を置き、子供の基礎力が養われていない」という問題も日本で今後必ず問題になることだ。来年度から、全国学力テストが実施される。おそらく、来年度の対象学年に当たる子どもたちには、そのための対策が行われるだろう。そして、そのテストの結果は相変わらず、応用ができてない。記述ができていない。というお馴染みの問題が指摘され、現場にはそのための対策をせよというこれまたお馴染みの対策が指示されることになるだろう。そして、対象学年になる子どもたちには、一年間という時間を費やしてそのテストのための対策が行われることになるだろう。
 また、マスコミはおそらくどこがテストの点数が高いのか、低いのかという問題に固執するだろう。そして、テストの結果イコール「学校の力」などと言ってランク付けなどをしたがるだろう。
 その結果どうなるか。インドと同様にテストのスコアに重点を置く教育が流行するだろう。
 「教師の教え方にも問題がある。板書と一方的なしゃべりばかりのクラスになりがちである」という問題も日本で指摘されることになるだろう。教える内容の増加による時間不足は、必然的に板書と一方的なしゃべりばかりの授業となる。また、テストのスコアを重視するために、ドリルなどが中心になりやすく、必然的に子どもにとってはつまらない授業になる。
 現在進められている教育改革には、教師の教え方に対する対策も盛り込まれている。しかし、そこで重視されているのは「教える技術」であって「決められたことをそつなくこなす技術」に他ならない。教師は単に決められたものを過不足なく教えていればいいと考えられている。
 記事では、

 しかしこのレポートとIT業界の現状の姿が非常に一致して見えてきた。「これほど高いレベルの教育を受けてきて、彼らは何故カスタマーの簡単な要求さえ理解できないのか」といつも不思議であったが、やはり根底の教育に問題があるようだ。繰り返し繰り返し記憶させるのは基礎能力の向上には繋がる。マニュアルを整備して憶えさせ、それに従ってソフトウェア開発とかBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)を遂行するのには向いている。しかし、そればかりでは理解力、判断力を必要とする世界には非常に弱いようだ。

とうことが指摘されているが、日本でも今後同じことが問題として指摘されるだろう。記事にあるインドの現状は日本の近い将来の姿そのものだ。しかし、インドの抱えている問題を教訓にしようという動きは出てこないだろう。日本の教育改革は、よかった昔に戻せばいいとしか考えられていないのだから。