教職大学院という顔のない教員の大量生産工場なんていらない

ベテラン教師に学ぶ 教職大学院設置基準

 現職教師を高い資質を備えた“プロ教師”に再教育したり、即戦力を備えた新人教師を養成する専門職大学院教職大学院」について、文部科学省が設置基準を策定、教授陣の主力を教壇での豊富な経験を持つベテラン教師とし、修了には小学校での長期実習を義務づけることにした。教職大学院文科省が進める教師の資質向上策の柱で、平成20年度の開校を目指しており、教師の実践的な「教える技量」を強化する方針だ。

 はっきりと言えば、教職大学院なんて必要ない。なぜなら、そういう機能は本来現場が持っていたし、教員養成課程をきちんと改革すればできることだから。
 記事では、

 文科省によると、教職大学院の修業年限は原則2年間で修了には45単位(1単位は45時間)修得することが必要。このうち、10単位以上を小学校に実際に出向いての実習にすることが不可欠としており、大学院側はこのために「連携協力校」となる小学校を確保しなければならない。また、教壇で教員実務を20年以上経験し、「教え方」や「教える技」に精通した「実務家教員」を教授陣の4割以上確保することが必要となっている。

として「教え方」や「教える技」に精通した「実務家教員」を確保しなければならないのだという。教職大学院なんかにそういう人材を縛り付けないで現場でそういう人が若い教員を育てる環境を作ればいい。もともと現場では様々な教員がいて学び合う環境が用意されている。そういうのをなぜ活用しようとしないのだろうか。
 記事では、

 児童生徒の学力が国際的にも高いことで知られるフィンランドでは、教員を大学院修了者に限るなど、教師の質を一定に保つ工夫がされている。

などと書いてあるが、フィンランドで行われていることは、日本で行おうとしていることとは考え方が違う。フィンランドは専門性を日本より重視している。だから、教職大学院などというおかしな発想は出てこない。

 これに比べて日本の教員養成の中心的な役割を担っている大学の教育学部には、「実践的な『教え方』などを身につける訓練が軽視されている」といった批判がある。教員の資質に厳しい視線が注がれるなか、同省では質の高い教員養成に向けて見直しを進めていた。

と記事には書いてあるが、教員はこういう記事には怒るべきだと思う。なぜなら、教員が教員であるゆえんは「教え方」や「教える技」にあるという一面的な見方しかされていないからだ。以前、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060626/1151306810で書いたが、技術面ばかりを強調するのは間違っている。
 「教職の専門性と教師文化に関する研究:日本・中国・イギリスの3カ国比較」 藤田英典・名越清家・油布佐和子・紅林伸幸・山田真紀・中澤渉 日本教社会学会大会発表論文集 55号 2003年 の冒頭部で次のように述べられている。

 この十数年の改革動向は教職に対する偏見と教師に対する不信を前提にしており、非常に皮肉で歪んだものであった。教師の資質向上が重要だと言い続けてきたものの、実際に進められている改革・政策は、業績主義的・管理主義的な教員評価・処遇制度や市場的競争原理を重視した学校評価学校選択制の導入・拡大に象徴されるように、一面的な外在的要因とそれに基づく外発的動機づけを重視するというものである。

 最近の教員に対する政策は、教員の資質向上を言いながら、教員の資質を限定的にしか捉えていない。「資質が高い」という金太郎アメのような教員を大量生産することを目的としている。教職大学院はそういう教員の製造工場に過ぎない。