難解になった教育基本法

今日の視角 分裂の「とともに、」

 野田正彰氏は、

 新法には「○○とともに、△△」という文章が12も出てくる。○○も△△もというのだから、それだけ要求がましい条文になっている。しかも○○と△△が並列するのではなく、○○と△△が矛盾する「分裂の・とともに」である。

と指摘している。kurahitoさんのこのエントリーにあるように、木村孟氏は、前の教育基本法が難解だと述べている。同エントリーには前の教育基本法の英訳も載せてあるので読んでいただきたいのだけど、全く難解な文章ではない。だから、木村氏が難解だというのは誤解だ。
 中教審教育基本法改正について議論したとき、もちろん木村氏も委員だったのだが、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20061012/1160597076で書いたような議論しかしていない。教育基本法が難解だというのはきちんと読んだことがないからではないだろうか。
 野田氏の指摘に話を戻す。野田氏が指摘するように現行の教育基本法(改正教育基本法)は「とともに」という言葉が多用されている。これを英文に翻訳するとおそらく、前の教育基本法よりも難解な英訳になるだろう。

 愛国心を要求した第2条5項は、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する・とともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」になっている。すでに愛国心を育てるために、我が国には四季があり、世界で最も美しい富士山がある、といった授業が小学校で行われている。こう教えられた人は、雨期と乾期の移り変わりに豊かな自然を感じ、そのような自然のもとで創(つく)られている文化に感動するのは難しくなる。

 世界中に美しい自然があり、1年の移りはどこでも変化に富む。この関心を育(はぐく)むのが教育なのに、偏狭な誇りは他国への無関心、憐憫(れんびん)、優劣の感情につながる。つまりこの文章の「とともに、」は並列、共同ではなく、対立しており、こんな文章を読まされていると滅裂思考になる。あるいは口先で「他国を尊重している」と言う偽善者になる。学校教育は、生涯にわたって問い直さねばならない歪(ゆが)んだ思考の源泉なのか。

と野田氏は指摘している。学習指導要領は野田氏が危惧するような方向で間違いなく改訂されるだろう。教育は内側へ内側へと向かい始めるだろう。そういう状況だからこそ子どもには外に開く目を持ってほしい。