寝言みたいなことを言う

教育基本法改正]「さらなる国民論議の契機に」

 この6年、基本法改正については様々な角度から検討され、十分な論議が続けられてきたと言っていいだろう。

と言うが、この6年間きちんとした議論が積み上げられてきたという実感がないし、その議論の結果出てきた改正案だとも思わない。だから、十分な議論と言われても同意できない。

 指導要領は、改正基本法愛国心や伝統・文化の尊重、公共の精神などが盛られたことで、社会科や道徳の指導内容が変わってくる可能性がある。愛国心などの諸価値は、どれも国民として大切なものだ。子どもたちの白紙の心に、正しくしっかりと教えてもらいたい。

 「子どもたちの白紙の心」なんてことを未だに言う人がいるんだなというのが正直な感想。子どもの心が白紙なら誰も苦労しないし、子どもの心が白紙だという意識があるから、大人が何色にでも塗りつぶせるんだと誤解してしまう。

 国が大枠の方針を示すことは公教育の底上げの意味でも必要だ。同時に、学校や地域の創意工夫の芽が摘まれることのないよう、現場の裁量の範囲を広げる施策も充実させてほしい。

 改正案の特徴は、現場の裁量権を著しく制限したことにある。もし、現場の裁量を拡大しようとするなら学習指導要領は今以上に大綱化、弾力化する必要が出てくるだろう。でも、教育内容に政治家などがこれほど口を出す状況でそういう方向に向かうはずがない。

 焦る必要はないだろう。教育は「国家百年の計」である。国民の教育への関心もかつてないほどに高い。教育再生会議などの提言も聞きながら、じっくりと新しい日本の教育の将来像を練り上げてもらいたい。

 焦って改正案を成立させたのは、政府・与党であり、読売新聞は、政府・与党に向けて「焦る必要はないだろう。教育は「国家百年の計」である。」などということを今回の審議中に呼びかけもしなかったではないか。一体この社説は今回の国会の議論のどこを見ていたのか。こういう寝言のようなことを書いて愚行を正当化できるとでも考えているのだろうか。