教育委員会法について

 1948年に文部省が出した「教育委員会法のしおり」より以下引用。

 これまでの地方の教育行政は、一般地方行政の一部門として行われていました。また、その責任もひとりの行政官に属していたのです。過去の姿をふりかえってみると、この制度のもとで地方の教育はかなりゆがめられ、おさえられていましたし、特に過去十年ほどの間は、いわゆる官僚的または集権的といわれる傾向が強くて、ついには少数の人の考え一つで、一般の人の気持は考慮されずに教育を左右することになり、のびのびした真理をめざす人間の教育、社会全体のための教育という目的をとげることができなかったのです。これに反して、教育委員会は、一般の住民から選挙された数人の委員で組織されるのですから、委員会の意思は、住民全部の意思と考えることができます。また、委員会制度は、ひとりの行政官ではなく、数人の集まりですから、個人のおちいりやすい、かたよった考えをさけることができます。教育委員会の制度には、何よりも、この憲法教育基本法の思想である民主主義を生かすことが、第一の考え方として取り上げられています。
 これまで、教育は、すべて上から与えられていました。どんなことを教えるか、どんな教科書を使うかは、国で定めていました。そのために、気候の違いも、地方の実情もあまり考慮されずに、同じような教育が、形の上から同時に全国的に行われていたわけです。これでは、ひとりひとりの自由な考えや、その地方の特色が生かされません。それで今までのやり方を改めて、地方にできる民主的な教育委員会で、これらのことを取り扱うことにしました。つまり、どんなことを、一年の間のどの時期に、その地方の実情にあった方法で教えるか、そのためにどんな教科書が必要か等をきめるのです。もちろん、国民として一定の教育程度をもつことが必要で、そのための基準だけは、今後も国で定めてゆきます。
 そのほか、その地方の事情とか特殊な性格を考えて、その地方に最もふさわしい方法で教育や文化を盛んにする任務が、教育委員会にはあるのです。
 細かいことまで国できめて監督していた強い中央集権をゆるめて、教育行政の地方分権を行うという考え方が、第二に根本的に取られています。
 これまでの地方の教育行政は、前にも述べたように、一般行政の中で一般行政官である知事とか市町村長の手で行われていました。学校を建てる場合には、議会の議決によっていました。また、教育上の細かいことまでも国の定めや文部省のさしずによっていたわけです。ところで知事や市町村長または議会の活動は、いわゆる政治的な活動であり、特に民主主義の原理によると、政治は政党政治ということになってきます。教育も政治も長い目でみれば、その理想とするところは一致していますが、実際には、政治は、現実的な問題にとらわれすぎたり、また、ある一つのカの強い組織に左右されたりしがちです。これに反して教育は、常に社会の将来の建設をめざすものであり、未来に備えるものであるともいえるのです。そして教育は、真理をめざして人間を育成する営みです。ここに教育の特殊な使命があるのです。それで、もし教育に、国や地方における現実的な政治活動の影響が常に及ぶとすると、いわゆる不当な支配が教育に加わる場合も生じて、教育の特殊な使命を完全に果たすことができなくなります。もちろん不当な支配は政治からだけ加わるものではなく、いろいろな方面からもきますが、すべて、教育の使命を果たす上からみて正しくない、適当でないと考えられる支配から教育を守ることは、どうしても必要なことです。そのために、教育委員会は、国民と国民の代表者に対して責任を負い、法令の規定に従って仕事をするので、ほかからの干渉を受けることはありません。これが、教育の自主性を確保しようとする考えで、教育委員会制度の一つの重要な精神です。
 だいたい以上に述べたような三つの基本的な考え方、つまり、教育行政の民主化地方分権化、それと教育の自主性を確保することが、教育委員会法の精神ですが、これは、同時に、今後教育委員会を運営してゆく場合にも、のっとられるべき精神です。