「曖昧」なものを基準にすべきではない

東京・足立区:学力テストの伸び率を予算に反映

 同区教委はランク付けは撤回し、学校ごとの特色ある教育内容の申請を審査して、予算配分を決める。内藤教育長によると、区が実施する学力テストの点数の伸び率の高い学校を高く評価する。残りは校長の熱意や教員体制の申請内容をみるという。07年度からの実施に向け今後詳細を詰める。

 足立区が今後どのようにこの問題を詰めていくのか分からないが、この記事から指摘できる問題点について書いておきたい。
 まず、

学校ごとの特色ある教育内容の申請を審査して、予算配分を決める。

というもの。「学校毎の特色」、最近特に強調されていることだが、その「特色」とは何かというのは明確にできないものだ。評価される「特色」と評価されない「特色」というような区別のできるものでもない。また、評価可能な「特色」というものでなければならないとすれば、それは数値化できるとか何らかの尺度に照らして明確になるものである必要がある。しかし、それは学校の持つ「特色」の一部でしかない。また、「特色」を評価する手法もきちんと確立されていない。つまり、これは評価できないものを評価し、それで差をつけるということに他ならない。それはメリットよりもデメリットの法が大きい。
 また、

校長の熱意や教員体制の申請内容をみる

というのは、教育ではよく言われるようなものだが、校長の熱意というのも学校の「特色」と同じで曖昧なものだ。また、熱意の行き過ぎは戒められるとしても本来「熱意」は無いよりある方が良い。また、これで十分という明確な基準もない。そういうものをどうやって評価するというのだろうか。
 足立区教委は、最初にあまりにも単純な基準で差をつけることを発表した。そして、今回はあまりにも曖昧な基準で差をつけると発表した。今回の発表は拙速すぎる。足立区教委はきちんと内容を詰めてから発表すべきだ。