これを責任回避だと言う理由

いじめ自殺、緊急調査 全小中高対象に…文科省

 こういうのを責任回避となぜ言うか。それは、調査を行うということで、自分たちはこの問題について取り組んでいるんだというアピールになり、文科省は何をやっているんだという批判を回避できること。

文科省は「教育委員会がすべてを把握していないか、文科省へ報告していないケースもありうる」と判断。今回の全国調査では、現時点で校内で起きているいじめについて、各教委に徹底した洗い出しを要請する。調査対象を国立や私立の学校にも広げ、全体状況の把握を目指す。

というのは、現場が報告を怠っているというようにすることで、現場にその責任を押しつけることができるからだ。
 こういう時にいつも思うのは、文科省にしても教育委員会にしても現場をサポートする方に本当は回るべきで、現場で教員や保護者が中心になって様々な取り組みが行えるようにすべきじゃないかということ。現場の教員を文科省や教委が他と一緒になって批判したり、とにかく「報告しろ」というのは間違っている。こういうのは踊る大捜査線の構図とそっくり。現場を知らない人間が、何か起こると偉そうに現場に入ってきてあれこれと指図する。
 いじめの問題に限らず、不断から現場を何らサポートをせずに、とにかく現場に様々なものを押しつけ、そこで解決せよと言い。何か起こると、批判する。そういうのが隠蔽体質を作る要因にもなっている。トカゲのしっぽ切りが横行すれば、トカゲはしっぽを捕まれないようにと逃げるのは当然だ。
 そういうことから「調査します」というのは責任回避だと私は表現している。