教育基本法に関する議論を行う人たちの真の姿とは

ISBN:4873808499:detail

 この本の第2章 中教審はどう審議したかの中で市川氏は、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」という答申を出すまでの審議の過程について書いている。
 それを読めば、中教審の議論が教育基本法について理解不足のまま、また、中身の無い議論が行われたかを知ることができる。
 例えば、

 今回の中教審では「根本に遡った審議」といわれながら、そうした論議はほとんどなされなかった。教基法は果たして不可欠な法律か。その必要性は認められるとしても、教育の目的や方針を法律で規定してよいものか。国家は教育にどこまで介入することが許されるか。中心となる目的が「人格の完成」でよいのか、など、これらは現行法制定当時から関係者によって根本的な問題として意識されてきたものである。根本に遡って見直すという以上、これらの問題の検討は避けて通れなかったはずであるが、これがなされなかった。

 今回は各委員が当日の議題を中心に自由に自分の見解を述べ、部会長が「議論の大勢はこのようだと判断した」方向でまとめていく方法がとられた。その過程で事務局にとって都合のよい意見は採用されるが、都合の悪い意見はいくら繰り返し述べても採用されなかった。それも反論があって説得されるとか、裁決で敗れるというのであれば、まだ納得できるが、ただひたすら無視されるのである。

 このように審議に当たった中教審委員たちは必ずしも現行法の構成原理を認識していなかっただけでなく、各条項の意味も正確に理解していたとは言い難い。たとえば、大学関係者をはじめとする少なからぬ委員および小野事務次官などは「教育基本法は義務教育など初等中等教育が中心であり、大学の役割が明示されていない」(「中間報告」一七頁)という認識を有しており、ここから大学の役割を追加規定すべきだという主張が出てきた。
 中には加藤委員(加藤裕治氏のこと 引用者注)のように「第三条以下、ずうっと第六条まで見ていますと、明らかにこれは義務教育のことを書いている」など理解に苦しむ意見まであった。小野委員(小野元之氏のこと 引用者注)のような教育行政のエキスパートが「今の条文のままですと、どう見てもこれは初等中等教育基本法のような感じが現実としている」と述べ、佐藤委員(佐藤幸治氏のこと 引用者注)のような憲法学者までが「教育基本法のトーンは、やはり初等中等教育に基礎を置いたものだと思う」などと語っている。(平成一五年二月二四日第二七回基本問題部会)。
 しかし、現行法が初等中等教育中心だという証拠はどこにもない。よく第四条の義務教育の規定が挙げられるが、これは憲法二六条第二項を敷衍したもので、小・中学校や特殊教育諸學校について規定したものではない。このことは平成一五年二月二七日に担当課長と個人的に面談した際に指摘したところ、承知しているようであった。

と書いている。これらを見れば分かるように、中教審の委員は教育基本法についてきちんと理解をしないまま、さらには、理解することもせずに審議を行っていたことがよく分かる。これは、衆議院教育基本法に関する特別委員会の委員にも共通している。さらに言えば、先日正式に発足することが決まった教育再生会議の委員も同じだ。
 例えば、防衛について全く知識も何も無い者が防衛について議論し、決定しているのだとしたらどうだろうか。背筋が寒くなるような話だろう。次元が違うと言われるかもしれないが、彼らはそれと同じことをやっている。
 教育は国家戦略だと言いながら、やっていることは井戸端会議と同じ。中身のない議論に時間と税金を費やしているだけ。こういうことは、もっと広く知られるべきだろうと思う。子どもの将来をこういう議論で決めて良いはずがない。国民をバカにしたようなことをこれ以上続けさせてはいけない。