誤解と偏見

[5] 悪習や惰性を捨て、新しい発想で教育再生を!/屋山太郎(政治評論家)

 屋山氏の主張には誤解と偏見とが満ちている。いくつか指摘しておきたい。

 国民的な道義の退廃、学力の衰退は数字にも現れている。親の子殺し、子供の親殺しなどが多発する現象を見れば、国民的な規範が底抜けしたとしか思えない。この荒廃は教育基本法が成立すればすぐ直る類のものでもない。
 文科省官僚と、彼等と一体になった中央教育審議会、さらに外周に存在する文教族といわれる政治家。彼等すべてが一体となって日本の教育改革を妨害してきたといっていい。教育界という狭い世界に立て籠もり、相互防衛本能によって外からの改革要求を退けてきた。

と屋山氏は言う。屋山氏の言う「外周に存在する文教族」の多くは、安倍首相の出身派閥である清和政策研究会(旧清和会)に所属する、していた議員ではないか。それ以外の派閥の議員で文教族として名が知られている議員はほとんどいないと思うが。

 いくら良い教科書ができても、それを採択する教育委員会日教組の意見を参考にせざるを得ない仕組みになっていた。これでは教科書の世界に新規参入することは困難だ。悪い教科書がいつまでも存続するゆえんだ。

 教科書の世界に新規参入できないのは、教科書検定制度の影響が大きい。欧米では様々な教科書が日本よりも自由に出版され、比較的狭い範囲でどの教科書を使うかを決定している。だから、特定の教科書のシェアが大きくなるということがあまりない。日教組が絡むからというのは正確ではないし、それだけで今のような構造ができたのではない。

 しかも、文科省官僚の怠慢を叱るべき中教審は全く監督の責任をとることなく、文科省の下僕になり下っている。「ゆとり教育」などという教育破壊を、双手をあげて賛成した責任をとれ! ここに村山内閣以来、日教組の代表が席を占めているのは何事か。組合は労働条件についての発言権は持っているが、われわれ国民は日教組に教育方針について口を挟んでくれとは頼んだことは一切ない。運動屋は教育の現場から去ってもらいたい。

 中教審を単に教育行政のやることに御墨付きを与える、今のような組織に作り替えたのは、他でもない保守系の議員たちだ。また、教育委員会文部科学省の言うことをよく聞き、政治の影響を受けやすくしたのも保守系の議員たちだ。まさか、それを忘れたとでも言うのだろうか。
 また、日教組の委員が入ったことで何が変わるというのか。日教組はそれほど影響力があるというのか。日教組はとても過大評価されているようだ。

教育の質も低下しており、子供を塾に通わせるのが普通になっているが、これは先進国にあるまじき姿だ。

 先進国にあるまじき姿だと言われるが、日本と欧米では受験などの仕組みやそれに対する考え方も異なる。なぜ日本で塾がこれほど発展してきたかという問題をきちんと見ないといけない。
 文部官僚や日教組の陰謀説というのは結構大衆受けする話題だが、きちんと、日本の教育史を見てみるとそういう話は誤解や偏見に基づくものだということに気がつくと思う。屋山氏の主張もそういうものの一つにすぎない。