迫っていく学び

 時々、昔の実践記録を読んだりする。といっても自分がやったものではなく、他の人がやった実践の記録で、数十年前のもの。そういうものを読みながら思うのは、「迫っていく学び」がとても重要だということ。
 今、学力の低下なんてことがよく言われる。そして、基礎学力重視ということが言われる。その中でものすごく減っているのは、「迫っていく学び」だ。
 今の子どもたちは、この言葉の意味はこうで、この公式はこれでという「知識」は結構持っている。そして、そういうものを学ぶ時間はたっぷりと用意されている。でも、問題の核心や本質に迫っていくような学びのための時間は少ない。あったとしても表面の部分をさらっと流して終わるようなものが多い。
 例えば、総合的な学習の時間に特徴的にそういうのが現れる。総合的な学習の時間で「福祉」について学ぶというとき、福祉施設を訪問して何かやって感想をまとめて終わるというようなことがある。子どもたちにとってそれは一つの良い経験になる。しかし、そこから子どもたちは福祉の何を学んだというのだろうか。福祉施設は必要だ。とか、福祉施設の職員は大変だとか。そういうことは考えるかもしれない。だけど、自分と福祉との関係、社会と福祉との関係、そういう関係性を考えてみるとか、そこにある問題が何かを考えてみるとか、そこにある問題を解決するための方法を考えてみるというようなことまでは考えていない。
 子どもたちが福祉施設などを訪問した後で書く感想文や、そういうところを訪問してまとめたものを見てみるとよく分かるのだけど、書いてあることやまとめてあることは、単にそこで感じたことだけだし、そこで聞いたりした事実だけだ。それが淡々と書かれまとめられている。
 子どもたちは、社会と直に向き合っていながら、社会に触れながら、実際には社会に無関心でいられる。また、子どもたちは問題と向き合っていながら、問題に無関心でいられる。そういう状況に置かれている。
 子どもたちの学びが教科書やノートの上だけ、教室の中だけ、限られた空間の中だけで成立している。子どもたちは、社会とやりとりしながら学んでいるのではない。
 「迫っていく学び」は、基礎学力がなければできないような学びではない。また、知識を単なるツールとして使うような学びでもない。無党派層が政治について無知で無関心ではないのと同じように、子どもも様々なことについて無知で無関心なわけではない。「迫っていく学び」は、そういう子どもたちが持つ知識や関心を活かしていくような学びだ。そういう学びを子どもたちにはしてもらいたい。