伊吹文科相へのインタビュー記事

教育再生 安倍改革】伊吹文科相に聞く

 伊吹文科相は「教育基本法への考えは」と問われて、

現行法は米国、欧州に持って行っても立派な法律だ。だが、日本には日本の文化、伝統、社会の規範がある。これをマスターしていればヒルズ族は事件を起こさなかった。

と述べている。こういう認識はどこからくるのだろうか。ぜひみなさんにお伺いしたい。ヒルズ族が事件を起こした要因は何でしょうか。もし、教育基本法に要因があるのだとしたら、現行の教育基本法が生きている今、これ以上の規制緩和をするべきではないということになるが。
 また、「首相直属で新設する「教育再生会議」は中央教育審議会との軋轢(あつれき)も予想される」と問われ、

 衝突しないように臨む。経済財政諮問会議が提言した大きな枠組みに従って、財務省経済産業省が行政を行う。こういうやり方でやろうと安倍首相に話した。大きな枠組みを示してもらい、それを中央教育審議会でこなしていくということではないか。安倍首相からは、教育は各省にまたがるものも非常に多いので、そういうものを作ると言われた。結構なことだ。

と述べている。これは私の無知、認識不足なのかもしれないが、経済財政諮問会議は「大枠を示した」だけではなかったはずだ。具体的な内容の提言を行い、施策を実施するスケジュールなども作成していたはず。もしも、教育再生会議経済財政諮問会議と同じように運営されるなら、中教審との軋轢は生じることがある。役割分担も明確にしないまま教育再生会議が発足すれば様々な混乱が起こる。
 「安倍首相が提唱する教育バウチャー制度や9月入学については」と問われ、

 現在の教育に物足りなさを感じる人がいるから、そういう提案が起こる。がん患者に抗がん剤を飲ますのは当然だが、副作用で死んでは困る。提案の欠点は文科省も謙虚に検討し、場合によっては中教審にご意見を承るのは当然だ。その上で副作用が大きすぎれば導入しない。副作用よりがんが治る可能性が大きければ導入する。文科省の皆さんには「そんなことはできないというのは駄目だ」と申し上げた。しかし、「確かに副作用が強すぎる」というときには私が首相に話すと言った。

と述べている。「副作用が大きすぎれば導入しない」と言いながら、「副作用よりがんが治る可能性が大きければ導入する」という。これでは曖昧でよく分からない。その判断基準がどこにあるのかもう少し明確にすべきだ。また、「副作用よりがんが治る可能性が大きければ導入する」というのは、少しの犠牲は仕方ないというようにもとれる。果たしてそういうものが許容されるのだろうか。
 伊吹文科相は、

 美しい国のためには美しい心根を持った日本人をつくらなければならないというのが安倍首相の基本的な考えだ。社会の基本は人間によって成り立つ。その人間に自己抑制があり、日本が大切にしてきた美徳を持っていれば、社会の秩序は守られ安全だ。しかし、今、残念ながらそういうものが壊されてきているために嫌な事件が起こっている。権利には必ず義務が伴う。守るべき自由のためには規律が必要だという気持ちを持つ日本人が多くなれば、日本の将来は美しい国になる。

と述べている。本当にこうなれば大変素晴らしいことだと思う。しかし、こういう美しい言葉で飾り立ててしまうと、現実を見失う可能性もある。現実を見失わないためには、スローガンではなく、具体的なことを語ることが必要だ。しかし、安倍首相就任からこれまで教育に関して具体的なものはあまり語られていない。安倍首相には、早く具体像を示してもらいたい。