家族再興の影に

「家族の日」作ります 政府、少子化対策の一環

 最近は、「家族」とか「家庭」ということが良く言われる。その影で大きな問題が進行しているように思う。様々な問題を家族、家庭の中で抱え込んでしまい、そのうちに問題をこれ以上抱え込めないという状況に陥る。そして、最後には最悪な結末が訪れる。その外側にいる人には、その家族や家庭の中で問題を抱え込んでいるというのは見えない。そういうことが立て続けて起きている。
 ここで言いたいのは、それを未然に防ぐために家族や家庭に社会が介入すべきというのではない。なぜなら、それでは問題は解決しないからだ。
 このような状況が生まれてきた要因は、家族や個人という小さな範囲だけに様々な責任をとらせるような仕組みが出来上がっていること。また、家族や家庭の問題にコミットメントするときに、強制的な手段をすぐに用いて、問題を強制的に解決しようとすることがある。
 そして、何よりも家族や家庭を美化しすぎていることだ。家族や家庭の理想像を押しつける。しかし、現実にはそういう理想的な家族や家庭は存在しない。だから、家族や家庭の抱える問題にコミットメントするときには、家族や家庭の現実を見て、それにあった形で行われなければならない。そうではなく、美化された家族像や家庭像を押しつける形でコミットメントし、その家族や家庭を批判し、罵倒してさらに追い込んでいく。
 家族や家庭というのが美化された形で強調されていくと、それは家族や家庭へと責任を押し込めていくことであり、追いつめていくことでもある。家族や家庭というのがいわれれば言われるほど、その影で問題が深刻化していく。
 最後に付け足し、「家族の日」を作っても少子化に良い影響は与えない。そういう対策しか出せないのは、少子化の問題も「念力」で解決すると考えているからではないだろうか。