学校の官僚化と統治

イギリスの教育改革と日本

イギリスの教育改革と日本

から引用

 留意すべき点は、マネージメント(学校経営)とガバーンメント(統治)との関連である。イギリスでは今、"イックスセレンシー(学校の優秀性)追求のためのマネージメント"という言葉が大流行している。それは一面で、学校を、ナショナル・カリキュラムの競争的な達成へと追いやっている。しかし、日本の場合、学校管理職によるマネージメントは、ただちに統制(の効率化)と結びつく性格を持っている。日本では「ガバナー」はまさに国家そのものであり、行政である。その性格は、一九六〇年代の学校経営近代化論が、教師への統制論として機能したことにも現れている。このような構造の下では、マネージメント効率、教師の業績競争は、ただちに権力支配への忠誠競争となり、官僚支配の方法となり、学校と教師の自由の剥奪となる。
 しかしイギリスの場合、ガバナーが統治(ガバメント)の主体なのである。まさに教育における統治者である。もちろん教育市場での競争にさらされている点では、ガバナーの関心は、この市場の評価基準に対する効率的な達成におかれる。しかし学校ガバナーは同時に親・地域代表の性格を色濃く持っており、しかも校長採用権をも持って学校のあり方を統治している。教育の地方分権規制緩和は、このガバナーの権限の強化へとつながることによって、地域自治、学校自治へとつながる可能性を持っている。

 この佐貫氏の指摘を読んで、

教委選択制めぐり対立 改革会議と文科省

社説 活力ある成熟国をめざして(5) 分権・自由化で意欲に満ちた教育の場を(5/8)

という記事の中で主張されていることや、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060414/1144984979で取りあげた東京都教委の「学校経営の適正化」というのを改めて読むと佐貫氏の言いたいことがよく分かる。
 これらの記事や都教委のやっていることは、権力支配への忠誠競争、官僚支配の方法、学校と教師の自由の剥奪だ。「分権化」とはほど遠いものだ。
 イギリスだけでなくアメリカにおいても、ガバナーの能力の開発と向上に力を入れている。そこに力を入れる理由は、ガバナーの能力が低いのでは地域自治や学校自治が機能しないからだ。日本のように民間から校長を連れてくれば良いという短絡的な発想などない。
 教育基本法改正の議論においてもマネージメント(学校経営)とガバーンメント(統治)についての議論は重要だ。しかし、そこはあまり議論されない。議論されるとしてもいかにして行政が学校や教員を統治するかということばかりだ。
 マネージメント(学校経営)とガバーンメント(統治)についてもう少しきちんとした議論が必要だ。