見誤ってるのは誰?

【主張】食卓の風景 幸福のありかを見誤るな

 目を覚ますと台所からトントントンとまな板の上で包丁を使う音が聞こえ、ご飯の炊ける甘いにおいやみそ汁の煮える香りが漂ってくる。そういう朝の光景は一体どこへ行ってしまったのだろう。

 そんな光景はいつまで見られましたか?

 今日の孤食や、個食、あるいは欠食をどう考えたらいいのだろう。
 「働かなくては食べられない」という声をよく耳にする。しかし、今は戦後の一時期に比ぶべくもない。経済的条件がそろっていながら、支度が面倒という親の怠惰によって、あるいはまた共働きで時間的余裕がないなど別の理由で欠食や、孤食、個食を生んでいるケースが少なくない。

 「共働きで時間的余裕がない」というのは、経済的条件がそろっていないからではないのですか?

 よりよい生活をするためという親の経済活動優先の生き方が、子供にとって望ましい生活環境の犠牲の上に立っているのだとしたら、幸福のありかの見誤りと言うべきである。

 幸福の在処を見誤っているのはどこの誰でしょうか?