責任を果たすということ

国学力テスト、区市町村別独自の成績公表を容認

 文部科学省が来年度から実施する「全国学力テスト」について、同省の専門家会議は20日、各区市町村や学校が自らの成績を独自に公表することを容認する最終報告書をまとめた。

 地域や保護者への説明責任を果たすことになると判断したためだが、その場合、テスト結果以外の学力や体力の現状も併せて公表するなど、過度の競争を招かないような配慮を求めた。

 専門家会議が先月末にまとめた中間報告書では、国や都道府県によるテスト結果の公表は、原則、国全体と都道府県別の平均正答率や学力分布などにとどめ、区市町村別や学校別成績の発表は認めないとした。学校の序列化を防ぐためで、今回の最終報告書もこれを踏襲した。

 しかし、各区市町村や学校がそれぞれ独自に結果の公表を望んだ場合は、地域や学校の学力レベルを地域住民や保護者に知ってもらう効果があるとして、認めることにした。ただ、「テストの狙いは、結果に基づいて地域や学校の順位付けがなされることではない」とも強調しており、テストを行う国語と算数・数学以外の教科や体力の状況、今後の教育改善策なども同時発表するなど、テスト結果だけが“独り歩き”しないような工夫を求めた。

 イギリスでは学校ごとの学力テストの成績は把握できる。しかし、イギリスではテストの成績ではなくその学校が前年と比較してどれだけ伸びたかという指標も公表され、そちらを親たちは重視しているという。
 それは、学力テストの点数に目が行き、それによって学校がランク付けするような相対的な評価ではなく、学校の指導などの効果がどれだけあったかを絶対評価で評価しようというものだ。
 しかし、そうであっても様々な問題が指摘されている。学校や教師だけでなく、子どもにとってもストレスとなったりという悪影響が報告されている。学力テストを廃止する動きもイギリス国内にはある。
 よく、「説明責任」ということが言われるが、公表された情報が適切に扱われたり、誤解を招くようなことがあったとき、それを是正していく責任もあるはずだ。学力テストの結果を公表することが「説明責任」というならその情報がどう使われているかという所まで責任を負うべきだ。良心に任せるという曖昧な逃げは許されない。また、学力テストなど様々な調査が行われているが、不当な調査が行われる可能性もある。それを拒否したり、そういう調査を止めさせる仕組みも作るべきだ。
 学力テストが行われれば様々なデータなどの蓄積、分析が容易になる。それは必要なことであり、否定はしない。しかし、目的が際限なく拡大され、データも様々な形で解釈される。それは混乱を生み出す。それを防ぐためにはもっと時間をかけて説明し、理解を深めることが必要だ。何度も同じことを言っているが、急ぐ必要はない。急げば混乱を招くだけだ。