今だから必要なことなのか

“ゆとり1期生”に愛媛大補習、院生講師が数学など

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同大学では2004年度、約8300人の学生のうち114人が退学。理由を聞いたところ、「一般教養科目の数学などで内容がわからず、やる気をなくした」などと言う学生が多かった。危機感を覚えた教育・学生支援機構の佐藤浩助教授(高等教育論)が「初期のつまずきをなくすことが大切」と補習を提案した。

という部分。この取り組みの根拠となる部分だ。しかし、疑問なのは今春入学する学生がいわゆる「ゆとり1期生」なのだが、2004年度に退学したのは「ゆとり教育世代」ではない。なのになぜ今になってこのような取り組みを始めるのか。
 補習をしなければならない状況が生まれた要因は多岐にわたる。しかし、今回の記事を読む限りでは、大学側の要因についてはほとんど触れられていない。受検科目としない。これは、高校では学ばなくてもよいと読み替えられる場合がある。その受検科目となってはいない科目の知識などが大学の講義で必要なのだが学生側の知識などは明らかに不足している場合。それは、高校までの教育の責任となるだろうか。このような場合は大学に責任があるのではないか。多岐にわたる要因をきちんと分析しないで、高校までの教育に責任があるかのように捉えてしまう。
 そして、問題は以前から指摘されていながら今になってやっと対策を始めている。それも、理由は「ゆとり1期生」が入学してくるから。問題を放置してきた側の責任を、「ゆとり教育」に押しつけている。
 大学側に全く非がない状況で、高校までの教育が問題だ。補習をするのは甘やかしすぎだ。と言われるならまだ理解できる。しかし、そう主張できる大学がどこにあるだろうか。この問題は構造的な問題でありながら、高校までの教育、学生個人の問題として捉えるために問題は一向に解決されない。
 大学側は自分たちにも補習というような対策が必要となった要因があることをもう少し自覚すべきだ。「ゆとり教育」を理由とするのは間違いであるということをもう少し認識して欲しい。