結局は社会の問題とは捉えてない

勉強冷めた日本 米中韓7割超…高校生意識調査

 日本では長年、受験戦争や学歴至上主義からの脱却を図るべきだと言われてきた。その主張通りに社会が変わってきたとも受け取れる今回の調査結果に、逆に危機感を募らせる識者も少なくない。

 「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、「一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか」と話した。将来に希望を持てない「希望格差社会」の問題を指摘する東京学芸大教授の山田昌弘さん(48)も「努力することに価値を見いださない傾向は労働意欲の低下につながり、少子高齢社会を支えられなくなる」と危惧(きぐ)する。

 なぜこうなったのか。藤原さんは「個性の尊重ばかりを唱え、子どもに苦しい思いをさせてはいけないという『子ども中心主義』が信奉されてきたこと」を第一の理由に挙げる。

 戦後の日本は高度経済成長を達成した反面、受験戦争の過熱やいじめといった社会問題を抱えた。1980年代には、中曽根内閣の臨時教育審議会が「学歴社会の弊害の是正」などを答申。これを受けて文科省はその後、「ゆとり教育」への転換を図り、経済界も、学歴に偏らない採用基準の多様化などを進めた。

 だが、2003年の国際学力調査で、日本は「読解力」が前回の8位から14位、「数学的応用力」は1位から6位に下がるなど低迷。子どもの学力不足がクローズアップされ、文科省は「ゆとり教育」の見直しを余儀なくされている。

 藤原さんは、こうした経緯に加え、「いつリストラされるか分からない不安定な今の社会で、『勉強してもしようがない』という気持ちが植え付けられてしまった」と指摘。山田さんも「勉強に希望を託せない社会システムに問題がある」と強調している。

 藤原氏も山田氏も社会が問題であると指摘してはいるが、それは第一の要因とは捉えていない。両者とも「ゆとり教育」や「フリーター・ニート」の問題との関連の方を強調している。
 その関連づけは妥当ではない。まず、藤原氏の「子ども中心主義の信奉」に要因があるという指摘。大人が子どもに苦労させたくないと考えるのは至極当然のことであり、そのために社会の様々な問題を解決しようとする。しかし、現在では、社会の問題を解決する意欲もない大人が、社会は辛いんだ。だから、おまえたちも競争し、辛い社会に耐えられる人間に慣れなどと言い始めた。自分の苦労を子どもにもさせようとしている。子どもは大人のそのような姿勢から希望を無くしている。
 希望を無くした大人は希望を無くした子どもを批判する。大人は「子ども中心主義」の教育が悪いなどという批判で自分たちを守ろうとしている。
 また、山田氏の主張は「勉強に希望を託せない社会システムに問題がある」「努力することに価値を見いださない傾向は労働意欲の低下につながり、少子高齢社会を支えられなくなる」という順番であるならまだ理解できる。しかし、山田氏が記事の通りにコメントし、社会システムの問題より労働意欲の低下の方を問題と考えているのならば、間違いだ。
 最初から希望も意欲も持たない子どもたちがいるのではない。子どもたちは周りの状況に大きく影響されている。周りの状況に問題があり、その問題を解決しない限り子どもも変わるはずがない。
 また、記事では教育の流れについて少し書いてあるが、この認識は妥当ではない。いわゆるゆとり教育路線は臨教審以前からであり、文科省ゆとり教育をすべて否定するような見直しはしていない。また、この調査結果がゆとり教育に大きな要因があると記事を書いた記者も認識しているようだが、その根拠がこの記事には示されていない。
 この記事のような認識、個人の問題、教育の問題に問題を矮小化する認識は放置することができない。希望も意欲も持っていないのは子どもではなく大人の方だ。自分の責任を回避し続ける大人こそ大きな問題ではないか。