明示的でないものへのまなざし


日本の教師再生戦略―全国の教師一〇〇万人を勇気づける

日本の教師再生戦略―全国の教師一〇〇万人を勇気づける

 この中の第4章 教師の力量と暗黙知 では「暗黙知」に着目し、教師の力量との関係について述べられている。
 その中の「暗黙知を明示知として広める」で野中郁次郎氏と向山洋一氏の例を挙げている。そして、次のように指摘している。

 このように、教師の暗黙知を明示知としたり、媒介的な言葉を通じて暗黙知を獲得することが可能であることを示す事例は存在している。しかし、このような手法で獲得できる教師の暗黙知は、教師の暗黙知全体の中のどの程度であろうか。パン焼き器はパンを焼くことはできても熟練したパン職人の技術を凌駕することはできないであろう。法則化された教育技術を身につけた教師は初歩的な技量は身についているであろうが、ベテラン教師の授業に匹敵する授業を展開することは難しいであろう。我々は、暗黙知を明示知化する以外の暗黙知の獲得戦略を考えなくてはならない。

 中教審などで教員の資質向上が議論され、大変注目されている。しかし、その議論を経て出てくるものは、「暗黙知」の獲得を戦略とするものではなく、明示知の獲得を戦略とするものばかりだ。
 明示知の獲得を主眼に置いた教員養成は「初歩的な技量」を身に付けた教員を短期間にシステマティックに大量に育成するものであり、それは「教員の資質向上」という目標が想定する教員を育てることはできない。なぜなら、教員の暗黙知を獲得するにはある程度長い期間が必要となるし、教員自身の試行錯誤などによって獲得されるものだからだ。
 明示的なものばかりを追い求める傾向は、学力や教室内での人間関係、学校の運営などどれこそ教育のあらゆるところに見られる。それによって明示化されない、明示的でないものは軽んじられ、無視され、気づかれることもない。
 今、盛んに言われる「教員の実践力」「授業力」は明示知の獲得を主眼に置いたもので、暗黙知をどう獲得するかという視点は見られない。また、指導力不足教員の認定でも教員評価でも「暗黙知」に対する視点は欠如している。
 教員に限らず人が成長するのには時間がかかる。なぜなら、明示知や明示的なものだけではなく、暗黙知や明示的でないものを獲得することが成長の過程では重要であり、その獲得には時間を要するからだ。
 短期間でも人は成長する。そういう考え方が教育だけではなく社会に広がっているように思う。自然のまま、ありのままに植物や動物を育てるのではなく、光を意図的に当てたり、栄養を意図的に摂取させたりして成長を早めたり、止めたりする。人を育てる場合にも同じようなことをしているのではないか。
 明示的でないものにもう少し目を向けて欲しい。そして、成長するのを待つことの重要性を考えて欲しい。