よく似ている

アメリカ教育改革の動向―1983年『危機に立つ国家』から21世紀へ

アメリカ教育改革の動向―1983年『危機に立つ国家』から21世紀へ

 

“基礎にもどれ”の運動の発端はムード的であったから,はっきりした定義はない。77年3月の論文でブロディンスキーは“基礎にもどれ”のいろいろな背景について次のように要約している。

  1. 親たちが学校の仕事に参加し,それに深くかかわるようになって,自分たちが望むように学校教育の政策や諸計画を変えようとしはじめた。
  2. 黒人やヒスパニック系の人びとは,子どもたちが3R'sの基礎技能を教えられていないと学校に注文をつけるようになった。
  3. この10年間、教員たちには創造性,人間主義教育,子どもの主体的思考を育てるように要求されたが,それらと技能の習得との関係が不明確となって,教育実践に混乱が生じたため,「3R'sにもどれ」という単純な提唱が支持を得てきた。
  4. 雇用主はハイスクール生が学力不足のため,生産的労働者になれないと不平をいっている。
  5. 大学も,学校が大学教育を受けるに足る基礎学力を生徒が身につけるように要求している。
  6. 学校は,学校外教育の責任を背負い過ぎて中心目標を喪失した。他方では,60年代からの“新カリキュラム”や新教授法に関する専門職としての力量の強化と実験的試行が試みられたが,親が直接求めるような効果を示していない。学校は親に分かるように単純明快な教育目標を追求すべきである。
  7. 公立学校の財政難のため,学校は余分のことをして,いたずらに予算を膨張すべきではない。

 これらは、今の日本の教育改革、教育に対する見方と奇妙なくらい一致している。「“基礎にもどれ”の運動の発端はムード的であった」と指摘されているように、アメリカにおける「基礎にもどれ運動」は確たる根拠もなく主張されたものだった。これも日本と合致している。引用したなかで背景としては挙げられていないが、当時のアメリカの教育に関する世論調査では子どもたちの規律の欠如が最大の問題となっており、基礎にもどれ運動は厳しい躾とリンクしたものでもあった。これも日本と同じだ。
 しかし、基礎にもどれ運動以降の動向から考えれば、基礎にもどれ運動は期待された成果を上げられなかったと言っていい。日本における基礎にもどれ運動も同じような結果になるのではないだろうか。