問題が見えないから問題だ

第1回
ニートの存在はあなたの家計を直撃する!
〜座談会:なぜ、ニートが増えつつあるのか(前編)〜

というのを読んだ。これは後半。第2回 ニートはよくも悪くも親がつくりあげる〜座談会:なぜ、ニートが増えつつあるのか(後編)〜それらを読んで少し書いておきたい。以下、記事から幾つか引用。(発言者はバラバラ)

 

ニートの子を持つ親には、はっきりとした共通点がありますね。それは、「親が甘い」ということです。とくに、「子どもに干渉しつづけている親」「物分かりのいい親を演じようとしている親」は要注意です。典型的なのが、子どもがいい年になっているのに、家事をすべてやってあげているという親でしょう。

要は、親に社会性があるかどうかが問題だと思います。社会性といっても、難しいことではなく、たとえば「家族が生活するにはこれだけ費用がかかる」ということを説明するだけでもいいのです。

私には3人の子がいるのですが、なかでも長女は意欲がなく覇気もないので、ニートになりやすい性格だと思っています。

統計上では、ニートは男子が多いとされていますが、実際は女子もかなり多いのが現実です。女の子の場合は、「家事手伝い」「結婚準備」といってしまえばニートとは扱われないので、数字に出てこないのでしょう。

ニートが増大している実態に対して、まだまだ対策が遅いように感じられます。職業体験の現場でも、NPOなどの民間団体におんぶにだっこというのが現状です。その根底には、「ニートは各家庭の問題」という発想が根強く残っているのではないでしょうか。

 ここに引用した者以外にも呆れてしまうような発言が横行している。例えば、

夫婦の問題でいえば、ニートと夫婦仲というのは大きな関係がありますね。ニートになった子の親を見ると、夫婦仲が悪いという例がよくあります。

 

家族論の面からニートの増加の原因を考えてみると、「甘い親と甘い子どもの組み合わせ」が増えたからと考えられます。では、なぜそういう親や子が増えたかということになるのですが、親が子どもに対して「がまん」を求めなくなったことも挙げられます。

 一人っ子が増えるなど、子どもの人数が減り、親が子どもを大切にしすぎるあまり、いい年になった子どもにまで、余計なお節介をするわけです。昔だったら、子どもが「仕事がつらい」と愚痴の一つでもこぼそうものなら、「少しは我慢しなさい」とハッパをかけていたでしょう。

 でも、いまは過労死でもされたらたまりません。その結果、「あまり無理をしないで」ということになってしまうのでしょう。

 

社会保障制度のひずみも一因でしょう。あくせく働いて、わずかな金をもらうより、むしろ生活保護を受けたほうが、ゆとりのある生活ができてしまうケースもあります。

 昔なら、生活保護を受けるというと、どこか後ろめたい気分になっていたのですが、いまではそんなこともなくなりました。

 そんな現状を見ている若者たちが、働くことに意味を見出すことができなくなってしまっていても不思議ではありません。

というような発言には驚いた。以前「「ニート」の問題はもう少し冷静に見る必要がある」というエントリーで引用した宮本みち子千葉大学教授 「社会的排除と若年無業―イギリス・スウェーデンの対応」という論文の中で、宮本氏は次のように指摘している。

 

日本型の移行期は,子どもの教育責任をもっぱら親に負わせる日本社会の構造と切り離しがたい。若者の貧困化が隠される日本社会では,真に問題を抱えた若者が存在していることが認識されるのに時間がかかる。親が子どもの移行を支えられない家庭が,どこにどの程度存在しているのかが明らかになりにくい(宮本, 2004)。このことは,EUの若年者雇用政策の対象年齢が10代から20代前半であるのに対して,日本が20代から30代前半に及んでいることにも表れている。日本の若者の困難が,20代の中盤以降でないと顕在化しない社会的文化的環境と無関係ではない。

 今回取り上げた座談会の記事の中で、ある人が「ニートが増大している実態に対して、まだまだ対策が遅いように感じられます。職業体験の現場でも、NPOなどの民間団体におんぶにだっこというのが現状です。その根底には、「ニートは各家庭の問題」という発想が根強く残っているのではないでしょうか。」という発言をしているが、彼女たち自身ニートの問題を各家庭や個人の問題としか見ていない。それは彼女たちの発言を読めば分かること。
 ニートの問題は、個人や家庭の問題としてしか捉えないために、実は問題が表面化していない。「問題が見えない」これは恐ろしいことだ。宮本氏は、イギリスの社会的排除防止局の報告書について触れている。

 

社会的排除の危険とその状況はこれまで考えられていたより複雑である。それにもかかわらず,社会政策は社会経済的, 文化的変化の複雑さを十分に考慮していないために効果を引き出せていない。NEET の状態にある若者の主観的ニーズや志向を含め生活全体の複雑さを受け入れ, それに対応できるパースペクティブが必要だというのが報告書の提言であった。

 日本では、社会問題としてニートの問題を捉えていないこと。報告書が指摘するようなパースペクティブが欠けていることが大きな問題だ。イギリスでは、

 

若年失業は, 単に仕事がないというにとどまらず, 貧困, 社会的孤立, 犯罪や疾病, 社会保障の権利の喪失など, 重大な困難をもたらす。とくに発達の途上にあり, 職業経験を積みながら社会関係を広げていくべき年齢段階における失業は, 成人の失業とは異なる問題を生むものであった。若者が, 社会的に要求されているあらゆるものへのアクセスができない状態にあり, 社会生活上も孤立し周辺化する現象を社会的排除(social exclusion)のひとつととらえ, この状態に陥ることを防止するのが, 若者政策の重要課題となった。

と宮本氏は述べている。日本ではそういう課題意識も持たれていない。問題が見えない、ニートの問題は実は実態とは乖離している。最近は特にそう感じる。ニートの問題はこれからも考えていきたい。
 最後に蛇足だが、取り上げた記事で

 

 変に競争原理を排除してしまった教育にも問題があると思います。その結果、他人とのコミュニケーションを身につけることができない子が増え、ニート増加の温床となっている気がします。

 たとえば、最近の学校では変な平等主義がはびこって、なんでもかんでも競争を避けようとしています。よく例に出される話ですが、学校の運動会で徒競走の順位をつけないところも少なくありません。たとえ順位をつけても、特別扱いされるのは1・2着だけで、あとはすべて「平等」。

 実生活は競争だらけだというのに、学校ではその心構えも身につけられないのです。本来ならば、勝ったり負けたりしているうちに、他人とのコミュニケーションが身についていくものではありませんか。ところが、いまの学校ではそれができないのです。

 けんかをしても、学校はすぐ親に連絡して、親同士が話をつけてしまいます。子ども同士は、納得のいかないうちに、無理やりに先生に仲直りさせられる。これでは、深いコミュニケーションなど芽生えようがありません。

 そもそもテレビゲームで育った世代ですから、せめて学校では友人とのコミュニケーションを身につけてほしいのですが、残念ながらそれができていないのです。

という発言があるが、これは教育への誤解と偏見であり、実態を反映していない。