ゆっくり待つこと

上田薫「ゆっくり待つこと 子どもは本当に考えていないのか」『教育と医学』2005年2月号

 

たしかに子どもは本当に考えていないかのようにみえる。でも、そんなことがありうるだろうか。子どもたちにも悩みは多々あろう。乏しいのは考えでなくて、その持続ではないのか。もちこたえねば、むろん深まりはない。しかし、なぜ持続しないのか。私は世の中の“勝負の早さ”こそが問題だと思う。遅ければ負ける、損する、とみな思いこんでいる。ゆっくりやればおのずと主体性も生まれるのに、なぜ今の世はこう急がねばならないのか。私はそれがこの世界を崩壊に導く大きな原因になっていると思う。じっくりゆっくりやることこそが、今世紀最高の道徳だといって何がおかしいか。
 もう一ついけないのは、正解をきめてしまうことだ。答えがきまっているのにどうやって考えるのか。正解は決して一つではない。「それをきめるのは君なんだよ。納得いくまでゆっくりやりたまえ」そう言われて考えない子どもがいるだろうか。子どもはごく自然に考えているのに、親にも教師にもそれがわからない。大人に都合のよい答えを出すのがよく考えるということではないのに、そのあたりがまるで狂っている。考えるのはプロセスだということさえ気づいていない。
 「考えるというのは自分をゆっくりさせることだ」そうなるとその人間のテンポも生きる。ほんものの創造への道もひらける。そうならねば人類は近く、傲慢不遜な自己過信の急ぎ死にしかない。
 近視眼で底が浅いほど、急ぎたがる。ITの力をいくら借りても、主体的思考は充実しない。手がかりが多く、しかも楽に手に入るほど考えは深まらない。考えないのは子ども以上に大人かもしれないのだ。目前の利に走るのをこらえられる日本人が今どれだけいるか。

 PISA型の読解力を子どもに身に付けさせると言われているけど、じっくりと読み、考えさせるのではなく、読み解くテクニックを身に付けさせているだけではないだろうか。ただ、答えを探し出すだけで考えなくても良い。そういう方向に行っていないだろうか。