走り始めたら止められない

 これこれについては、実施する前から批判や不満、不安があるのに止めようとか、他の方法を考えようとはしない。無駄だと思いながらダラダラと続けられる公共事業のようだ。
 大学側は本当に英語のリスニングを重視しているのだろうか。そういう学生が本当に欲しいのだろうか。そういうことを明確にしている大学がどこかにあるのだろうか。
 内申書はなぜ止められないのだろう。他に方法がないのであれば仕方ないが、他にいくらでも方法はある。絶対評価内申書などの評価に向かないのは最初から分かっていること。なのになぜそれをわざわざ使って不満や不安を増大させるのか。
 センター試験やその他の試験でも公平・公正というようなことが言われるが、それを実現するためにどれだけ時間や労力を費やしているだろうか。ほとんどやっていないではないか。公平や公正を追求しようとするなら年に一回の実施というような制度設計は最初からしないだろう。入試制度は形骸化しているし、改善すべき問題が山積している。それにも関わらず改善しようとする動きは非常に鈍い。いったんこの辺で立ち止まって、入試制度を抜本的に見直してみたらどうだろう。