これを実現するのは難しい

国公立大を9月入学に 「安倍政権」で検討

 安倍晋三官房長官は30日、首相に就任した場合に政権公約の柱として掲げる「教育再生」の一環として、国公立大学の入学時期を現在の4月から9月に変更し、高校卒業から大学入学までの間にボランティア活動に携わることを義務付ける教育改革案の検討を始めた。若者の社会貢献を促すとともに、入学時期を欧米と同様に9月として学生が留学したり、留学生が国公立大学に入復学しやすい環境を整備する狙いがある。

 過去にも9月入学という話はあった。しかし、実現しなかった。なぜなら、9月入学は大学と高校との間だけの問題ではないからだ。大学が9月入学となれば、それにともなって高校の様々な日程もそれに合わせることになる。それは中学校や小学校へも当然影響する。小学校から大学まで一緒に変更しなければ日程などで問題が起こる。その変化は決して小さくない。だからこれまで実現していない。
 また、3月卒業、4月入学は、日本の気候に合っているとか、これまで長い間そうだったから意識が変わりにくいという問題もある。そういう長い間の慣行を変えるのは難しいだろうと思う。
追記
 ボランティア活動を義務づけるという問題について少しだけ。義務づけられた「ボランティア」っていうのはないだろうと思う。それは「賦役」と表現した方が良いのではないだろうか。

どういう戦略を立てるか

 9月の自民党総裁選が終わると、教育基本法の問題が再燃する。教育基本法の改正に意欲的な人たちが権力の中枢に座る。そういう状況の仲で改正を阻止するためには、どのような戦略を立てればいいのだろうか。
 例えば、日本教育学会の歴代会長の連名で出された「教育基本法改正継続審議に向けての見解と要望」(教育基本法「改正」情報センターのサイトで見ることができる)を、教育を専門としない一般の人たちが読んだとき、どれだけの説得力を持つだろうかということを考えてしまう。
 今「教育」に対して多くの人が不満や危機感を持っている。そいう不満や危機感は教育基本法の改正に対して賛成か反対かという立場を超えて共有されている。そういう不満や危機感を無くすために教育基本法を改正すべきという主張は、一定の説得力を持つ。それに対して、改正反対の立場から有効な主張はほとんど出てきていない。
 また、改正に賛成の側と反対の側との意見は大きく食い違っている。それは、現状をどのように捉えるかというところに違いがあるだけではなく、どちらも自分たちの主張を通すために、一方の主張を最初から排除してしまっているからだ。それは、小泉首相の論理と同じで、一方的に自分の主張だけを通して、議論を積み上げていくことをしない。
 教育基本法の改正に反対の立場から、一方通行の議論から議論を積み上げていく方向へとどうやって持っていくのか。そのための戦略を立てる必要がある。個人的には、教育基本法の問題を「法律の問題」としてきちんと議論をしていくこと。教育基本法改正に関連して出てくる「教育言説」をディコンストラクションすることが必要なのではないかと考えている。
 議論を積み上げないまま、教育基本法が数を頼りに改正されるのは一方的な「押しつけ」でしかない。そういう改正をさせないためにも何らかの戦略が必要だ。

教育総理大臣になれるか

 安倍晋三議員が教育についてあれこれ言っているのを見ると、ブッシュ大統領(父親の方)と似てる感じがするなと思う。レーガンの後に大統領に就任して、1990年9月に全米の知事を集めて「教育サミット」を開催している。その時の副議長はアーカンソー州知事だったクリントン。それは、現在のアメリカの教育改革の大きな節目になっている。その後、クリントン大統領、ブッシュ現大統領まで教育問題に熱心な「教育大統領」が続いている。
 それと安倍氏の場合を比較すると似ているところもあるが、違いもある。その違いは、ブッシュ大統領は、教育をあからさまに政治闘争に使わなかったこと。教育を利用して思想や信条の問題にまで踏み込むことがなかったところだ。
 安倍氏ブッシュ大統領と同じように将来「教育総理大臣」と呼ばれるようになるのだろうか。