なんか変だよ泉佐野市

学力向上策を予算に反映 大阪・泉佐野市長が表明

 ある問題があります。それを改善するためには何が必要だろうか。それは原因を探ること。そして、対処すること。それがうまくできなければ問題は解決しない。学力が向上しないと嘆く。改善しろと言われる。けれど、学力は向上しない。なぜか。それは、原因をきちんと探り当て、対処するというプロセスを欠いたまま学力向上の目標を掲げかけ声だけは大きいから。泉佐野市の場合はまさにこれ。
 学力テストをしました。結果はこうでしたと公表した。それで予算をつけるという。では、その学力テストは問題の原因を探るために必要なデータを収集するシステムになっているのだろうか。なっているのだとしたら、それを元にして原因を探り出し、そちらを公表してみたらどうだろう。学力テストをやれという人、点数を公表する人。そういう人は多い。けれど、それが問題の原因を探り出せるシステムになっているかどうかに注目する人は少ない。点数こそすべてみたいになって、改善策を出せと騒ぐだけ。それで問題が解決するはずがない。
 全国学力テストを悉皆調査でやれという意見も、検証するためのシステム作りへの視点を欠いたまま主張される。競争すればいい。点数を公表すればいい。予算の格差をつければいい。それは問題解決につながらない。
 問題を解決するには原因を探る必要がある。そのためのシステムをあらかじめ用意しなければ原因を探れない。それが無いまま点数を公表しても意味は無い。無責任だからこそ安易に点数公表に踏み切る。点数でランク付けしても、それは興味をそそるだけで無責任な責任追及や責任の押しつけ、犯人捜しにつながるだけ。
 改革をしている。改善をしていると思い込んでも問題は解決しない。問題を解決するシステムをきちんと構築することが何より必要。波紋を広げて後はどうにかなるさでは無責任なだけ。