的外れな読売新聞社説

国学力テスト 適度な競争こそ刺激になる(11月29日付・読売社説)

社説は,

学力テストは、子供たちの学力を把握して国や教育委員会の教育施策を検証すると同時に、学校の授業改善に生かすのが目的だ。子供に結果を返却し、自ら課題をつかんで勉強の仕方を工夫してもらうためでもある。

と述べている。考えてほしいのは,現行の全国学力テストでなければ社説の言う目的が果たせないのかと言うこと。教育施策を検証するというのであれば,抽出調査の方がメリットが大きいのではないか。調査項目を増やせるし,経年変化も見ることができる。そうしたことができない悉皆調査の全国学力テストをなぜ支持するのだろうか。教育施策を検証するということが建前であって,競争が本来の目的であるというのであれば,そんな建前を持ち出すことなく競争をさせたいとはっきり言えばいい。
 教育施策の検証は,地方自治体,学校,教室レベルでそれぞれ妥当で合理的な方法でいくらでも行うことができる。全国学力テストでなければそれができないなどというのは幻想でしかない。現行の全国学力テストが教育施策の検証を行う上で妥当で合理的であるというならその根拠をきちんと示すべき。「適度な競争」という話にすり替えてそこを論じないのは間違っている。
 また,「学校の授業改善に生かす」「子供に結果を返却し、自ら課題をつかんで勉強の仕方を工夫してもらう」ことが目的であるという。けれど,それはどうやって行うのだろうか。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20091015/1255544632で書いたことをもう一度書いておきたいのだけど,松下佳代氏は
[asin:4820803131:detail]
のなかで

パフォーマンス評価では,パフォーマンス課題の開発やルーブリックの作成・採点を教員集団で行うことによって,教師の専門的力量の向上や教員同士の同僚性の構築にも役立つことを目指しています。しかしながら,全国学力テストでは,教師はこのような機会を奪われています。教師は採点基準の作成や採点から切り離されているだけでなく,子どもの解答と採点基準・採点結果を見比べて,追認的に個々の子どもの学力を把握することすら困難です。答案は返却されず,返却されるのは設問ごとの正誤と正答数のみだからです。

ということを指摘している。全国学力テストに当初参加をしなかった犬山市教育委員会は次のような工夫をしている。この記事(http://www.asahi.com/national/update/0416/NGY200904160009.html?ref=rss)には

原則として、学力調査に参加する全児童生徒の答案をコピーしておく。どの問題について採点するかや、採点する対象を一部の児童生徒にするか、全員にするかなど、細部については各校が判断する。採点の期間は定めないが、市教委事務局は「あまり遅くなると目的が達成できない。遅くても調査後2週間くらいまでには採点することが望ましいだろう」としている。採点した結果は、教師が改善の材料として使い、児童生徒には返却はしない。

とある。これはこれでよく考えた取り組みだ。けれど,それは全国学力テストに参加しなければできないことではないし,全国学力テストだからこそそうした手間のかかる工夫が必要になる。
 はっきり言えば,全国学力テストで自分の位置を知ることができるとか,課題を知ることができるなどという主張は,単にランク付けされたり,正解か間違いか,それだけを見て自分の位置や課題を知ることができたと思いこんでいるだけだ。
 社説では,

全員参加によって学校や子供、保護者の学力向上への意識が高まり、教委も改善策を打ち出すようになった。また、都道府県別の結果公表が、下位の自治体を奮起させ、上位の自治体との教員交流など様々な対策を促してきた。

とも述べている。
 全国学力テストが国レベルでの教育施策の検証という目的で,抽出調査で行われても,地方は,地方にとって必要な調査を自分たちで行うことができる。全国学力テストが始まる以前はそうした調査が行われていたし,いくつかの自治体が共同して調査を行うこともされてきた。そうした「芽」を摘み取ったのは全国学力テストだ。
 全国学力テストが抽出調査になるというのは,地方にとって自分たちのやりたいことができる良い機会だ。摘み取られた芽をもう一度大きく伸ばすチャンスだ。様々なレベルで必要な調査が行われ,必要な施策が講じられるような環境を作り出すには,まず,自分たちが何を必要としているのか,何ができるのかを考えることが必要だ。地方は,自分たちがそうしたことができる,そうしたことをやるべき立場にあることを自覚すべきだ。
 全国学力テストが抽出調査になることで,廃止に向かうのではないかと言う。全国学力テストが抽出調査になれば,その意義を損なったり,意義が無いという理由で廃止が主張されると考えているからだろう。けれども,抽出調査であっても意義は損なわれないし,意義がないとして廃止を主張するのは間違っている。
 全国学力テストが抽出調査になることで,廃止に向かう,廃止できるという考えには共通しているものがある。どちらも,悉皆調査こそ意義があると考えていることだ。奇妙なことだ。抽出調査になることで,廃止に向かう,廃止できるという考えは,どちらもやっぱりおかしい。
 適度な競争がという主張もおかしい。全国学力テストが抽出調査になることは適度な競争を否定するものではない。全国学力テストの本来の目的が教育施策の検証ならば,競争が重視される必要はない。競争が必要のないところに競争を持ち込むことは適度な競争ではない。適度な競争は違うところでいくらでもやればいい。競争のない学力テストはあり得ないのではなく,競争が必要かどうかは個々の学力テストで異なるということだ。
 読売新聞は全国学力テストをきちんと検証してみたらどうだろう。読売新聞は全国学力テストに幻想を抱いているように思う。全国学力テストは自分たちが考えていることができるんだと思いこんでいるところがあるのではないだろうか。