こんなデタラメに付き合わされないこと

【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 テスト結果を公表せよ

 まず,

文科省は、調査見直し・不要論にたじろいではならない。国の教育政策立案の基礎として学力を検証するに足る長期間の全国データはぜひとも必要なのである。教育は国家百年の計なのだ。43年ぶりに復活したこの調査は「費用対効果」などで論じる次元を超えた極めて重い意味を持つものである。連続悉皆調査を継続すべきである。

について。アメリカのNAEPは抽出調査だ。悉皆調査ではなく,抽出調査の方がメリットがあると考えられているからだ。アメリカのNAEPについては,http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/03/pdf/03berd_05.pdfで池田央氏が詳述されているので読んでいただければと思います。
 OECDPISAについても同じことが言えるのだけど,国単位の調査の目的は「子ども個人の学力調査」ではなく,国全体の傾向を調査するために行われる。そうであるからこそ,幅広い項目を調査できる抽出調査で行われている。また,抽出調査を行うことで,調査目的が子ども個人の学力,教師個人や各学校の能力といったものまで評価できるものという拡大解釈を防止することができる。
 そうしたことを考えずに,悉皆調査反対は調査中止と同義であるといった主張をするのは間違っている。
次に,

市町村別、学校別の調査結果公表についてだが、公表をためらう理由は何もない。学力テスト再開の目的が、学力水準の向上と義務教育の機会均等の実現にあるのだから、市町村別、学校別の調査結果を明示しなければ学力向上にも授業改善にもつながらないことは誰の目にも明らかである。

について。
 こうした主張があることが一番調査の目的をゆがめ,弊害をもたらしていることに気がつくべきだ。もう一度,アメリカの場合を例に取りたいのだけど,アメリカでは全国的な調査は抽出調査で行われている。そのために,市町村別、学校別の調査結果は示すことができない。それでは,アメリカでも同様に「学力向上にも授業改善にもつながらないことは誰の目にも明らかである」だろうか。
 また,

学校間の序列化や行き過ぎた競争につながらないよう配慮することはもとより重要である。しかしながら、すべての競争を悪と決めつける教育論には無理がある。社会に出ればいや応なしに日常の切磋琢磨(せっさたくま)と競争が待ち受けているというのに、小中学生の時にだけ平等ばかり説き、競争の現実を教えないのは不自然で罪深いことではないか。

といった主張もよくある。けれども,それも間違っている。PISAの場合を考えてみればいい。PISAは「評価の枠組み」を作成し,ある得点群の子どもは何ができるのか,何ができないのかをそこから知ることができる。そして,そこから課題が見えてくる。あらかじめ設定された目標にどれだけ到達しているかを見れば,何ができて何ができないかは知ることができる。それが分かればその後に生かすことができる。そこに競争が必要だろうか。全国学力調査は「評価の枠組み」をPISAのように作成していない。そうだとしても,そこに競争は必要ない。
 社会において競争が行われているとしても,競争の必要のないものを使って競争させれば,目的をゆがめ,調査の価値を下げることになる。その弊害を考えれば,その主張がおかしいことに気がつくはずだ。
 最後に,

いま市町村教委や学校に求められているのは、調査結果を公表し、保護者や地域住民と教育について情報を共有することである。その上で、学習指導や生活指導の改善について、地域に即したきめ細かい方策を提案すべきである。

について。
 そう考えるならば,必要なときに適切な規模で,合理的な手法で調査を行い。課題を見つけ,それを解決していく,その環境を何より最優先して作ることが必要だ。全国学力調査にこだわる必然性など無い。全国学力調査を魔法の杖だと勘違いして振りかざして見せていることのほうが,弊害をもたらしていることに気がつくべきだ。