議論すべきことが議論されない異常事態はいつまで続くのか 学力テスト狂想曲に踊る人たち

市町村・学校別結果は非開示 全国学力調査鳥取県教委

鳥取県教委 学力テスト、一転非開示 来年度以降は今後検討

 いつになれば,必要なことが議論されるようになるのだろうか。全国学力テストの結果の公表をめぐる問題で,鳥取県教育委員会は一定の結論を出した。しかし,その過程において議論されるべきことが議論されることはなかったように思う。
 全国学力テストの結果の公表について,産経新聞の記事http://sankei.jp.msn.com/life/education/080811/edc0808112231006-n1.htm

文科省では、実施要領で地域別、学校別の非公表を求めながら、要領を順守するよう各教委に確認していなかった。「来年度以降は文書か説明会で非開示であることの確認を取る必要がある」(文科省幹部)との方針を示唆した。

というようなことが指摘されているけれども,いくら順守を確認しても,全国学力テストの結果は情報公開の対象となる。開示請求が行われれば,それは他の場合と同様の手続きが取られ,開示非開示が決定される。
 http://sankei.jp.msn.com/life/education/080709/edc0807091258005-n1.htmにあるように,鳥取県の場合には,文部科学省の通知が法的根拠を持たないことを指摘している。それは,教育論云々ではなく,文部科学省が開示すべき情報は何か。開示されるべきではない情報は何か。誰がどんな情報を得るべきかなどを議論し,法的根拠を持たせれば良いだけのこと。なぜ文部科学省が口先だけで「適切に」などと言い,逃げるのか。それをなぜ指摘しないのだろうか。
 中嶋哲彦氏は,http://homepage3.nifty.com/kyoukaken/gakute.htmlにあるように,

国学力テストの正式名称は「全国学力・学習調査」といい、これはいわゆるテストではなく、行政調査である。教師が行う通常のテストは、教育活動の一環として行われる。テストは、児童生徒の理解度・到達度を確認して、次の教育活動に生かしたり、評価・評定の資料にしたりする。これは学校・教師だけが実施できるものであって、文科省教育委員会には実施できない。したがって、文科省が全国学力テストを実施することを合法的に説明するには、「行政調査」の1つとして位置づけるしかないのだという。

ということを指摘している。何度も書いてきたように,全国学力テストは教育行政のAssessmentのために行われる。それが本当に必要なものであると考えられているならば,必要な法律を策定し,それに基づいて実施していけばいいこと。その際に,情報の開示についても法律に規定すればいい。文部科学省は,全国学力テストについて議論すべきことを議論せずに地方に丸投げしたし,未だに議論から逃げている。その姿勢こそ批判されるべき。
 それだけではない,情報開示をめぐる議論においては,未だに幻想論というか,根拠の定かではないものが前提として議論されている。それは,全国学力テストの結果を用いて学校評価や教師評価が可能であるというようなものだ。それは,間違いであり,そのために情報開示が必要であるというのも間違っている。http://plaza.rakuten.co.jp/nakamoto1236/diary/200703100000/で,仲本正夫氏は,

国学力テストは、象の尻尾の長さで象を論じるようなものである。

と指摘している。これは,全国学力テストの結果で学校評価や教師評価が可能であるという議論にも当てはまる。評価できないものを評価できるとし,それを根拠に情報開示の必要性が議論されるのは間違っている。
 今回,鳥取県教育委員会は一定の結論を出した。本来なら,情報開示の問題について文部科学省に対して,法律の整備を求めるべきだった。無責任に放り投げられたボールはきちんと返すべきだった。けれども,鳥取県教育委員会が一定の判断を下したのであれば,それには最後まで責任を持つべき。
 全国学力テストの問題について,地方の教育委員会が独自の議論を行ったことは評価できる。これを機会にもっとつっこんだ議論に発展してほしい。また,こうしたことは他の教育委員会でも行ってほしい。犬山市鳥取県の議論は大いに参考になると思う。国の決めたことだからと言って,必要な議論を欠いたまま決定され,後になってあわてて議論するのでなく,必要な議論を行ってほしい。
 全国学力テストという幻想論で満ちあふれたものに代わる,本当に必要なものを必要な規模で,必要なところが行えるような状況を作り出してほしい。