教育へ政治介入するための手段はどうしても残したいようだ

【主張】沖縄戦記述 訂正理由「示唆」は問題だ

 よく,

検定制度をゆがめる

という主張が出てくるが,それはいったい何を意味するのか。
 今回のケースが「不当な支配」であり「政治の不当な介入」であり「検定制度をゆがめる」のであれば,「不当な支配」も「政治の不当な介入」も排するような制度を提言するのが筋ではないか。
 彼らが「検定制度をゆがめる」と言い,教科書検定制度を堅持しようとするのは,自分たちにとっても教科書検定制度が必要であるからだ。自分たちにとって都合の悪い,気に入らないものは「不当な支配」であり「政治の不当な介入」であるとして批判するが,自分たちに都合がよく,気に入るものであれば逆の主張を行う。ただそれだけのために教科書検定制度は堅持されている。
 歴史の問題は,歴史家などが大いに議論し,検証し,合意を形成していけばいい。それをなぜ教科書検定で行わなければならないのか。教科書検定制度は,歴史学の役割を代行させられようとしている。愚かなことだ。
 教科書検定制度は,教育への政治の介入や支配を容易にするだけでなく,学問の発展も阻害する。そういうものは廃止すべきではないか。検定制度を堅持せよという主張は,検定制度をさらにゆがませるだけだ。