批判するだけでは何にもならない

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 小野田氏は、この中で次のように述べている。

 私は、イチャモンという問題を考えていますが、その裏返しはつねに"連携"です。ごく簡単にいいますと"連携"と"イチャモン"は、オモテとウラの関係なのです。「イチャモンこそチャンス」です。このところをもう一度、教職員の側は、肝に銘じていただきたい。そして保護者のみなさんには、ときとしてトゲトゲしくなるもの言いを、一度、ちょっとそうではないちがうかたちで、「うん?これイチャモンになってえへんかな?そうじゃないかな?」と考えながら、それを反省しながら、きちんと学校に出していく。そして、「なんだったら、私が、あんたの話聞いたげるわ」と学校に不満を持っている人に呼びかける。いま、この本を読まれているみなさんにはPTAでそういう役割をされた方も多いと思います。「あんたの悩みを聞きましょう」というかたちで、手を差し伸べてください。そういう取り組みが、どうできるかということなのです。
 人間は、ストレートにものを言うときに、「どうしても言わな気がスマン」という部分があります。これはすごく大事なことがらなのですが、もう一方で、自分の怒りや感情や思いが、どれだけ意味があるかということを考え、一度、誰か近場の他人に話をしてみることも大事です。そうした関係を通したなかで、学校に「どのように思っていることを伝えていくか」が大切です。
 そうしたなかで、「学校これやってよ」ではなく、「私は、こうしたいと思う」「先生、これしてくれません?」「私は、ここまでやります」という、このお互いの関係をつくれるようなかたちでの要求の出し方をしていくことが、社会が壊れない道すじです。そして、学校というところを通しながら、社会が結びあっていくことが重要なのではないでしょうか。

 学校に無理難題、イチャモンを寄せる保護者や地域住民を批判したり、逆に学校や教師を批判することに何の意味があるのだろうか。そういうものを批判して溜飲を下げることはできても、問題そのものが解決するわけではない。
 必要なことは小野田氏の言うように「イチャモン」を「連携」に変えていくことだ。そのためには、相互批判を繰り返すのではなく、相互理解を深めようとすることが必要だ。学校にはきちんと要望を出していけばいい。しかし、学校はそれに過剰に反応する必要は無い。互いに何ができるかを考え、提案し、やっていけばいい。どちらか一方が上で他方を下に位置づけるような関係ではなく、どちらも「当事者」として教育に関わっていくようにしていけばいい。

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