教育に対する誤解と偏見と

犬山市の教育の実態??全国学力テスト不参加

 まず、

 犬山南小学校では教頭の弁では教室内では児童らが机をU字形に並べて、子供が問題の解き方を発表すると、他の子供から質問、意見が出て、授業が進み、教師はコーディネイター役だという。自ら学ぶという方針が子供に学ぶ意欲を植え付けさせることにつながるというのだが、教師がコーディネイターというのは、いささか奇異な風景な感じである。授業は、シンポジウムとは違うはずだ。

と言うように指摘されているが、これは授業と教師の役割を非常に狭く考えられていると思う。授業がどのような形で行われるかは、その時々において最適だと思われるものが選択される。その際、その選択の適否は授業の目的や内容などをきちんと見て判断されるべき。
 また、教師も同様にその時々に応じて役割を変化させる。教師がコーディネートという役割を担うべきと考えればそういう役割を果たす。それ以外の場面ではまた違った役割を果たす。これも先ほどと同じようにその選択の適否は授業の目的や内容などをきちんと見て判断されるべき。
 次に、

 また、平成13年度から、少人数教育のために市費で講師を採用、小学校の理科、算数、国語の副読本を作成しているというが、主要科目に副読本を用意し、市費で講師を採用するのは世間一般の塾経営を思い浮かべてしまう。

 これは、市教委が自分たちの掲げる教育理念のために必要であると考えてやることであり、それが塾経営と似ているというのは問題が無い。もし、市教委が有無を言わさずそれしか選択肢を与えないというような場合には批判されるべき。
 また、

 同市の教育長は、テスト結果が公表されれば、市町村、学校ごとに序列化が進み、地域や子供が無用な競争に巻き込まれると心配する。それならば、同市は学力の把握をどこで担保しているのかいえば、全国の小中学校の約50%が参加している「全国標準学力検査」で把握し、全市的にも学力の底上げができているとしている。

 しかし、全国的レベルでも平均より上の学力であると自信を持っていれば、なおさらのこと、全国学力テストに参加しても大きな支障はないだろうし、第一、父兄も教員も管理職も地域全体が安心するのではなかろうか。

 これは明らかに誤解している。犬山市教委は自分たちの教育理念について自信は持っているとしても、他地域よりも自分たちの教育が優れているという自信があり、それで全国学力テストに不参加を表明したのではない。また、自信があるなら参加して安心云々というのは間違いだ。犬山市教委が不参加を決めたのは、全国学力テストという仕組みに自分たちが組み込まれることで、自分たちの教育理念の実現が困難になると判断したからだ。その判断は尊重されるべきだ。

 全国学力テストに参加しないことに反対する動きもあった。昨年末に就任した新市長は、不参加方針に市教委に再考を求め、市議会でも22人中16人が署名した要望書が市教委の不参加方針は変わっていないという。市教委が何故、不参加なのか、市民に対する説明責任を果たしていない声もある。

 市教育長は「教委が責任を果たしてきた結果の不参加」だというが、問題なのは教委が責任を果たしてきたという判断は誰がするのだろうか。少なくとも市教委ではないだろう。

と指摘されているが、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070221/1172034804
http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070217/1171720679
http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070217/1171639122
http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070210/1171089401
で書いてきたように、犬山市教委は自分たちのこれまでの取り組みと、それが全国学力テストへ参加することでこれまでと同じような取り組みが困難になることをきちんと何度も説明していけばいい。犬山市長や犬山市議会は犬山市教委とともにそういう説明会や討論会などを開催し、きちんと自分たちの考えを訴えていけばいい。
 そして、保護者や地域住民もそういうものに積極的に参加し、意見を述べられ、自分たちの目指す教育は何か、自分たちに必要な取り組みは何か。そういうことを徹底的に議論して自分たちで教育改革を進めていけばいい。
 犬山市教委の判断を、軽々に国のやることに反対しているからいけないとか、子どものことを考えていないなどというように言うべきではない。そういう批判は、誤解であり、偏見である。