教師受難の時代

「監査が心配」教師が変死

 これは、イギリスの教育改革の負の面の一つだ。イギリスでも日本でも教師に改革のしわ寄せが及んでいる。日本では、これからさらに教師はきつくなるだろうと思う。
 http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070404/gkk070404001.htmのなかで、向山氏は、「優れた教師」と「力ない教師」という表現を用いている。教員はだれもが優秀でありたいと考える。でも、誰でも何らかの欠点を持っている。
 http://blog.goo.ne.jp/madographos/e/47924479d8747d3bb90173fa05ee9958でmadographosさんが、

最近の教育論議を聞くにつけ,
なんでも教えれば,教えることができる,
教師さえ有能ならば,教えることができると
安易に考えられているように思われてならない。

また,マスコミに登場する教育カリスマたちが,
「私には教えられる」とやるものだから,
周囲は易々とそれに付き従う。

と述べているように、教師万能主義というような幻想が広まっている。
 向山氏のように、「優れた教師」「力ない教師」と言えば言うほど、教員は自信を失う。なぜなら、教師にとって、簡単にこれが正解だと思えるような場面は少ないからだ。教師は、常に不安を感じている。
 誰もが欠点を持つから、日本では「同僚性」「協働」というのが大事にされてきた。しかし、今では様々なことが教師個人の資質や力量に依存するようになっている。「優れた教師」「力ない教師」というのは、教師を孤独にする。
 イギリスも日本も「教師受難の時代」であることには変わりない。そこにあるのは、教師に対する不当な評価と教師万能主義という幻想だ。