今こそ必要なこと

 田中二郎氏が、「教育基本法の成立事情」『日本教育法学会年報』1974年のなかで、審議会について次のように述べている。長いが引用しておく。

 田中 日本の各種の審議会をみていますと、一つのことをじっくり考え、十分の準備をしてきて発言するってことが非常に少ないんですね。なんといいますか、審議会の委員連中というのは、一般には専門家であったり、教養のある人であったりしましても、その問題についてどこまで自分で考えてきて、その見識を述べられるかという問題になると、私は、これは教育刷新委員会に限らず、どこの委員会の場合にも、そう多く期待できないというのが現在の状態じゃないかと思います。ですから将来の審議会制度の考え方としては、今、四ツ以上、五ツ以上はいけないとかなんとか言っていますが、そんな不徹底なことではなくて、一つに専念するという体制にもってゆかなくては、私は本当にいい意見というものは、なかなか出して貰えないんじゃないかと思います。役所の方ではそればかりに専念して、一生懸命に勉強している。委員さん達は散発的にちょこちょこやってきて、意見を述べるというのが多いわけですから、コンティニィティがない。ですから、どうも意見として非常に参考になり全体を動かすような意見ということにはなりにくいという感じがしますね。戦後、審議会とか調査会とかいうものが乱造されましたが、当時は、それぞれ、必要があったのでしょう。しかし、それが、その後、一種のマンネリズムに陥ってしまい、たいした成果をあげないままに、ずるずるにそれをやっているという傾向が強いようです。その典型的な例として地方制度調査会などがあげられると思うんですが、これは一九五二年以来ちょっと途中で断絶はしたんですけれども、今日までずうっとやっているんです。ある時期には盛り上ってきた、山があるんですけれども、最近は連年、大体同じような顔ぶれでやっているようですが、外からみていると、まだやっているか、というようなものですね。そこで答申を出したところで、結局、自治省のお抱えの代弁人が、なんか自治省のために都合のよい答申を出しているという評価しか受けないのが実情じゃないか、そういう調査会を作って何べんやってみたってあまり効果はあがらないんで、この際、そういうものは、いっそ全部ご破算にしてしまって、ある特定の問題について、どうしてもこれをやらなければならないときに、専門家を集めて意見を聞くという考え方に切り換えた方がいいんじゃないか、ずるずるやっていて、仮に結論が出ても、その結果はけっして、一般から高く評価されるようなものには受け取られないんじゃないかということを、自治省の幹部の人達にもちょいちょい話をしているんですが。まあ、税制のような、年々、国民所得の状況が変ってくるものについて、税制対策として、いろいろな対策を考えてゆかねばならないような場合は、これはある程度の意味があるのかも知れませんが、これだって、政府のかくれみのにすぎないともいえるでしょう。ずっと十数年も同じような顔ぶれで集ってやっているだけだとあまり意味はないですね。中央教育審議会のようなものも、どれだけ役に立ちますか。大学制度改革問題を仮に諮問したって、あの顔ぶれで何が出てくるかという感じがしますね。ですから、そういう審議会の制度を整理するというかけ声はあるんですけれど、なかなか整理できない。どうしても必要なものを除いて、全部、一旦やめてしまう。もし必要があれば、必要に応じて人選を考えて再スタートする。その時にはそれに打ち込んでやって貰える人に生活を保障するに足るだけの相当高い報酬を出して、ただで、人の地位、経験、知識を利用するというような考え方はよした方がいいと思うんです。

 田中氏の「中央教育審議会のようなものも、どれだけ役に立ちますか。大学制度改革問題を仮に諮問したって、あの顔ぶれで何が出てくるかという感じがしますね。」というのは、先日委員が発表された中教審教育再生会議にも言えることだ。
 重要なのは、田中氏の「それに打ち込んでやって貰える人に生活を保障するに足るだけの相当高い報酬を出して」と述べたところだ。
 以前、少し紹介したことがあるのだが、前田多門氏が『前田多門 その文・その人』東京市政調査会 1963年のなかで次のようなことを述べている。

 人事行政は、殊にかういふ時、最も大切である。取り敢ヘず、次官には市役所以来気心を知り、人物材幹に満幅の敬意を払ふ大村清一氏を煩はすことにした。局長の入れ替へにも、特に気を配り、かねてから、自由主義、民主主義教育に関して、立派な一家言を持ってゐる人士を迎へ度いと心を焦った。その結果、多年の懇誼に免じて、いづれも今更、文部省の局長でもあるまいと思はれるやうな大家を説いて廻ったところ、希望通り、来て貰ふことが出来たのは、まことに仕合せであった。即ち、科学教育局長には山崎匡輔教授、学校教育局長には田中耕太郎氏、社会教育局長には関口泰氏を、それぞれ迎へ得た。世評では、私の短かい大臣在任中、強いて功績を拾へば、この人事行政だけが、たった一つの手柄だと言ふやうであるが、さう言はれても仕方がないし、それこそ、最も大切な眼目だと、今も信ずるのである。

 前田多門氏は、戦後の教育を立ち上げていくために必要な人材を集めることが重要であると考え、それを実行した。それは、田中氏の「それに打ち込んでやって貰える人に生活を保障するに足るだけの相当高い報酬を出して」というのをまさにやったということだ。
 前田氏が名前を挙げている方々、それ以外にも当時の文部科学省にはそうそうたる顔ぶれの人たちが集まり、戦後の教育の土台作りを行っていた。
 ここで、現在の状況を見てみたい。肩書きや知名度に頼って、自分たちの意向に添った形で答申や方針を出させ、肩書きや知名度を利用してアピールする。そして、教育再生だと仰々しい看板を掲げ、声を張り上げている。
 安倍首相やその周辺にいる教育再生が必要だと力説する方々は、もし、本当に教育の再生が必要だと考えているなら、肩書きや知名度で委員を選ぶのではなく、前田氏の行ったような「人事」をまず考えるべきではないか。しかし、そのような「人事」の必要性を説く声は、政府内から聞こえてくることはない。
 単に、自分たちの意向をうまくアピールしてくれればそれで良いという考えしか持たないから、コントロールしやすい素人を審議会などに連れてくる。田中氏が言うように、「そういう調査会を作って何べんやってみたってあまり効果はあがらない」。
 これも以前、少し書いたことの繰り返しになるが、中教審国立教育政策研究所とを合併させて、改組し、基礎的な研究や様々な課題に対する答申とを同時に行える機関を創設すること。そして、その機関には専門家を招き、そこで研究などに専念してもらえるような環境を作ること。そういうことを考えても良いのではないか。
 様々な判断であったり、最終的な決定はこれまでどおり政治家が行うとしても、これまでよりは腰の据わった教育行政が行われるのではないだろうか。
 教育は人なりといわれ、教員の質が重要であるといわれる。しかし、たとえ教員の質が向上しても、教育の方針などを決める場が、井戸端会議では意味がない。前田多門氏は、「人事行政は、殊にかういふ時、最も大切である。」と述べているが、今まさにそれが必要なのではないだろうか。