マスコミの教育に対する認識は

ゆとり教育」転換見送り 中教審部会、現行指導要領を堅持

 以前、「ゆとり教育と脱ゆとり教育、どちらもそれほど変わらない」などでも書いてきたことだが、現在の中教審の路線は70年代以降の路線から大きく変わってはいない。
 では、なぜこれほどの混乱を招いたかを考えなければいけない。いわゆる六四答申に示された施策を実行していこうとしていた時、中曽根内閣の臨教審がスタートした。そこでは、イギリスやアメリカの教育改革と同じような理念を共有するような施策が打ち出された。日本ではそれ以降六四答申の路線と臨教審の路線とが奇妙な形で併存してしまった。
 二つの方針は一部で共通点をもちながら路線を異にするものも多い。また、日本の教育改革は実証性が乏しく、理念を先行させスローガン的な言葉で彩られた改革だった。「ゆとり」という言葉はその代表格だ。今で言えば「学力低下」だろうか。「ゆとり」は本来の意味から次第に離れて使用されるようになり、今では非常にネガティブなイメージを持った言葉になっている。そして、各所でどちらに重心があるかの違いはあるがその二つの路線は今でも共存している。
 今回取り上げた産経新聞の記事は、いわゆるゆとり教育路線が転換されるだろうという甘い期待を抱いていたものの落胆ぶりをうかがい知ることができる。その期待が、「反ゆとり教育論が抱える危険性」で指摘したように何もかも以前のものを否定し、その逆のことをすれば良いというものだとしたら、それは非常に危険なことだ。いわゆるゆとり教育については、全くと言っていいほど検証が行われていないからだ。現行の教育の実態把握が不十分だ。そういう中でもしも大転換ということになれば混乱を招き教育は立ち往生してしまう。
 ゆとり教育路線に対する一般的な認識には、雰囲気やムードから派生した誤解や自分の経験のみで語られるようなもの、政治的な曲解などが見られる。それは、「危機」という言葉によって足場を揺さぶられた人たちの心理状態を強く反映している。
 ゆとり教育もムードが先行したように今の反ゆとり教育路線もムードが先行している。特にマスコミにはその傾向が強い。もう少し冷静に教育を見るべきだ。