鈴木邦男氏の主張

今週の主張10月9日
生まれて初めてですよ。新聞にこんなに大きく取り上げられたのは

 鈴木邦男氏が、先日の東京地裁判決について書いている。以下、該当部分を転載。

(3)これは画期的な判決でしたね。〈流れ〉が変わるかも

 さてさて、最後になったが『AERA』(10月9日号・朝日新聞)だ。

 〈都立校の卒業式などをめぐる、あの…。「違憲」判決の理路整然〉
〈勝った教職員側もびっくりした。「意に反して歌うか、処分されるか」それを裁判所が強制不当と全面的に認めた〉とリードはある。

 私も驚きましたね。画期的な判決だ。
 9月21日、東京地裁難波孝一裁判長)の判決は、処分を前提にした都教委の通達や職務命令は、憲法の19条が認める思想・良心の自由を侵し、教育基本法10条が禁じた「教育への不当支配」にあたると判断。教職員に起立・斉唱の義務まではないことを確認し、原告全員に1人、3万円の慰謝料を払うよう都に命じたのだ。
 これは勇気のある判決だ。判決は、実は、かなり時の世論、風潮に支配される。今なら、右傾化の中にあって、「日の丸・君が代」強制を認める方が大方の賛成、支持をえられる。しかし、この裁判長は、そんな「欲」は出さない。あくまで憲法に照らして、これは違憲だと言った。これは立派だ。
 1999年8月、「国旗・国歌法」が成立した。しかし、これは〈強制〉とは関係ない。「日章旗(日の丸)が国旗だ」。「君が代は国歌だ」と認めただけだ。つまり〈確認〉しただけだ。「これでは淋しい。尊重の義務を入れた方がいい」という自民党議員もいた。しかし、入らなかった。ただの無味乾燥な〈確認〉だけだ。だから、この時は、「強制するものではありません」と政府も文部省も言っていた。これは大事なことだ。
 ところが、法律は出来れば一人歩きする。又、使いたい人間が出る。2003年10月、都教委が、入学式・卒業式などでの国旗掲揚・国歌斉唱の詳細な実施指針を、都立学校長に通達。これが又、細かい。ねちねちと書かれている。

 〈国旗掲揚・国歌斉唱にあたり、校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること〉

 こう脅した上で、こんな、こまかに指示をした。

 〈国旗は壇上正面に向かって左、都旗は右に掲揚する。式次第に「国歌斉唱」と記載する。司会者が「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。斉唱はピアノ伴奏者により行う…〉

 この通達が出てから、今春までに処分された教職員は延べ345人だ。ひどい話だ。「通達」を見て思うのは、二重、三重に「忠誠心」をチェックしていることだ。「君が代」のテープを流す、という方法もあるが、それは認めない。必ず伴奏をつけ、皆で口をあけて歌う。起立しない人間は処分。起立しても歌わない人間も処分。口をあいてるふりをしてるが声を出さない人間も処分…。
 教職員が起立しているか、口をあいてるか、本当に歌っているかを監視する人間がいる。都教委の人間だし、保守派の議員や、PTAも監視する。しかし、こうした監視する人間は、監視に忙しくて、自分では歌ってない。こんな連中こそ一番、国歌を侮辱し、冒涜してるんじゃないのか。
 それに、「国旗は左、都旗は右」っていうが、都旗って何だ。あるんだろうが、見たことはない。都民だから大切にする義務があるのかな。でも知らん。「愛国心」じゃないが、私には「愛都心」が全くない。いかんな。「売都奴」だ。「非都民」だよ。
 この画期的な判決に対し、都教委側は「1%も予想しなかった」という大敗北。でもすぐに控訴した。しかし、奇妙なのは都知事の石原さんだ。「日の丸・君が代」を強制し、従わない者はどんどん処分しているが、でも、本人は「君が代」は別に好きでもないらしい。「AERA」に出てたが、かつて、1999年3月13日付「毎日新聞」でこう言っている。

 〈--日の丸・君が代を学校の行事に強制しますか。
  石原 日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ。個人的には、歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ〉

 じゃ、本人は歌ってないんだ。教職員じゃないから強制される場はないか。いや、スポーツ大会などで、その場合はあるはずだ。その時は、「嫌いだから」歌わないんだろう。あるいは、個人的には嫌いでも、「都知事」として、いやいや歌うふりをしているのか。ぜひ聞いてほしいね。
 僕らが学生の時、三島と石原は二大スターだった。右派学生にとっての知的リーダーだった。でも三島は、石原とよく論争していた。「守るべきものは三種の神器だ」と三島は言うと、「又そんなことを言う」と石原は馬鹿にしていた。「自民党に入りながら自民党の悪口を言う。卑怯だ」と三島が言うと、「体制内改革だ」と石原は言い返す。「君には士道がない」と三島は言っていた。
 又、石原は「昭和天皇は戦争責任を取って退位すべきだった」と言っていた。
 そんな発言の流れからすると、「君が代は嫌い」というのも分かる。納得がゆく。でも、現実には強制している。大いなる矛盾だ。
 又、かつてヒラの教師の時は「強制反対!」を叫んでいたのに、校長になるや、一転して「強制」している人もいる。「生活」のためなのか。「家庭を守るため」なのか。だったら、そんな「生活」など捨ててしまえ。まるで「転びバテレン」じゃないか。遠藤周作の『沈黙』を思い出すね。卑劣な「転向者」だよ。

 「AERA」を読んでいて、もう一つ気になったことがある。2004年8月に、処分を受けた都職員に「再発防止研修」実施。と出ていた。この「研修」って何だ。犯罪者や交通事故を犯した人に対するのと同じなのか。「再発」を防止するための「研修」なんて。
 「ダメじゃないか。君が代を歌わなくちゃ」「もっと口を大きくあけて歌うんだよ」と指導するのか。もともと、口の小さな人はどうするのか。指を入れて左右にひっぱって、歌わせるか。でも、これでは不格好だ。君が代に失礼だ。でも難しい歌だから、キチンと歌えない。よし、5千回、君が代を歌った「君が代博士」を呼んで研修してもらおう。…と、なるのかな。ともかく、不気味だよね。この「再発防止研修」は。私も見てみたい。受けてみたい。でも「日本一の愛国者」に研修できる人間なんているのかよ。「いたら出て来いやー!」と雄叫びを上げて、今週は終わり。